朝、食堂ではちょっとした異変が起こっていた。
「・・・ねぇ、。アレン君と食べないの?」
「・・・うん。いいの。」
困惑気味の友人がそう恐る恐る聞いても、私は小さく笑って答えた。
いいの。こうしてしまったのは、私だから。
弱い私の、せいだから
私は遠くに見える彼の後姿をこっそりと見つめた。
あれほど近くにあった彼は、驚くほど遠い。
でも、これが本当の距離だったのかもしれない。
あぁ、こうなってしまったのは、自分の思いに見返りを求めてしまった、私への罰だろうか
「なぁ、アレン。ほんとにいいんか?と一緒に食べなくて。」
「・・・えぇ、いいんです。」
ちらちらと遠くにいるを見つつ、ラビが小さな声で尋ねてきた。
それに僕は、小さく笑って答える。
いいんだ。こうなった原因は、僕だから。
臆病な僕の、せいだから。
あぁ、こうなってしまったのは、彼女の優しさに甘えすぎてしまった、僕への罰だろうか
少女は自分の弱さを罪とした
少年は自分の臆病さを罪とした
振り出した雨はまだ止まず、暗雲はいまだ晴れず。
あぁ、どうしてこんなことになってしまったのだろう―――
after a rain
いつもより味気ない朝食を終えて、アレンは自分の部屋に帰ってきた。
カーテンを開けていない部屋はいつもより薄暗い。
どさっとベッドに腰掛けると、深いため息をついた。
苦しい。胸が締め付けられたように痛くて、息が詰まりそうだ。
脳裏には、いつも優しく微笑むの姿と、昨日のあまりにも痛々しい姿。
知らなかった。あんなにも自分がを追い詰めていたなんて。
(いいや、違う)
知っていたはずだ、僕は。
知っていて、知らないふりをしていた。
気づいていたのに、気づかないふりをしていたんだ。
甘えていた。甘えすぎていた。
彼女の包み込むような優しさが、心地よくて。
微笑が優しくて。
それが永遠にあるものだと、根拠のない確信を抱いていた。
そんなはずは、なかったのに・・・
「・・・最低ですね。」
本当に、自分は最低だ。
ぬくもりを失ってはじめて、その温かさに包まれていたことを知った。
微笑みを失ってはじめて、その優しさに癒されていたことを知った。
声を失ってはじめて、それが自分を呼ぶことに喜びを感じていることを知った。
姿が遠ざかってはじめて、彼女がどんなに自分の傍にいて、支えてくれていたかを知った。
その証拠に、今の僕は、こんなにも脆い。
失ってから気づくなんて、最悪の気づき方だ。
自分がそれに包まれて安穏としている間、彼女はどれだけ涙を流しただろう。
どれだけ胸を痛め、どれだけそれを笑顔の奥に隠していただろう。
「・・・ごめん・・・。」
ごめんね、。
でも、僕は―――
***
部屋に戻ったは、そのままベッドに突っ伏すと深い深いため息をついた。
息苦しかった、ただひたすらに。
理由を尋ねる友人たちの声より、彼の姿が。
あの姿がもう自分の傍にはないのだという現実が、何よりも辛かった。
あぁ、どうして私は弱いのだろう。
罪悪感か後悔か、よく分からないものに胸を潰されて、どうしようもなく苦しい。
思わず涙が滲んできたそのときだった。
こんこん
控えめなノックの音。
誰だろうと身を起こす私の耳に飛び込んできた、声。
「・・・・・・。」
間違えるはずがない、この声だけは。
アレンだ。
起こしかけた体が、驚きのあまり固まる。
いつもと変わりないドアを凝視した。正確には、そのドアの向こうの彼を。
信じられなかった。
どうして。
「あ、そのままでいいです。話を、聞いてもらえますか?」
いつもより弱弱しい声。
ぽつりと呟かれるような声なのに、ドア越しなのに、私には鮮明に聞こえた。
その声に導かれるように、ふらりと立ち上がる。
無言を肯定と取ったのか、アレンはまた言葉を続けた。
「・・・すみませんでした。たくさんたくさん、僕はあなたを傷つけてしまっていた。」
苦しそうな声。
絞り出すような声に、私はいいの。と心の中で言葉を返す。
いいの。そんなことはいいの。
私は、あなたの傍にいられれば、それが嬉しかったから。
今なら分かる。苦しくても辛くても、私はあなたの傍にいたかった。
「僕は卑怯で臆病な人間です。に聞かれない事をいい事に、何も話そうとしなかった。
・・・怖くて、話せなかった・・・。」
自分の過去は重くつらく冷たいもので、彼女を押しつぶしてしまいそうで怖かった。
自分の辛さを彼女に分けて、それで彼女まで辛い思いをさせたくなかった。
大切で、大切で、離したくなくて。
離れていってしまうのが怖くて、何も言えなかった。
自分は臆病で、とても卑怯だ。
「君が傷ついていることを知っていながら、それでも、どうしても言い出せなかった。」
自分が大丈夫と言って笑うと、はいつも寂しそうな、悲しそうな顔をして笑った。
そのたびに胸が痛んだ。自分がこんな表情をさせてしまうのが忍びなくて、やりきれなくて。
でも、どうしても話せなかった。
はそれでもいつだって優しかったから。
いつだって最大級の優しさをくれた。微笑んで、包み込むようなぬくもりを分けてくれた。
何も聞かずに、何も言わずに。
「僕は甘えすぎていたんです。の優しさに、甘えすぎていた。」
自分が何も言わなくても、いつだって惜しみない優しさを与えてくれた。
それはいつしか、僕の中で当たり前になってしまったのかもしれない。
「そんなはずは、なかったのに・・・。」
今にも泣き出しそうな掠れた声に、私は知らずに涙がこぼれた。
ゆっくりと、彼のほうへ歩み寄る。
ドアにそっと触れると、こつんと額を当てた。
「分かってる・・・。」
ドアの向こうで彼がはっと息を呑むのが分かった。
「・・・?」
「分かってる。分かってるよ。何も言わないことが、あなたの優しさだってこと。」
だって私はずっとあなたを見てきたから。
ずっと、あなただけを。
「・・・ごめん。」
「謝らないで。」
そういうと、彼が戸惑いながら黙り込んだのが分かった。
少しだけ、2人の間に沈黙がおりる。
「・・・何でも、言って欲しいの。」
沈黙を破って、私はポツリと呟いた。
「全部話してなんて言わない。でも、話せることなら、何でも話して欲しいの。」
楽しかったこと、嬉しかったこと
辛かったこと、悲しかったこと
小さな弱音でも何でもいい。些細過ぎる事だって、あなたが話してくれることなら何だって
「共有したい。」
あなたの傍で、一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に喜びたい。
つらいことも分け合えたらと、強く思う。
私の願いは―――ただそれだけ
「負担になんて思わない。だから、負担だなんて思わないで。私・・・強くなるから。」
今はまだあなたが私を弱いと思うなら、もっともっと強くなるから。
だから・・・
「何でもいいの。どんな辛いことでも、些細な事でも何だって・・・ちゃんと聞くから。」
だからどうか、話して欲しい。分けて欲しい。
見ているだけなんて、私にはもう、耐えられない。
そう言って黙り込んだ私に、しばらくしてアレンのいささか緊張したような声が聞こえた。
「じゃあ・・・僕のわがまま、聞いてもらえますか。」
その言葉に、私は目を見開いた。
初めてだった。そんなことを言われたのは。
「・・・なに?」
知らずにやわらかく微笑んで、私は先を促す。
何だって聞いてあげる。あなたのことなら、何だって―――
「・・・ずっと傍に・・・いてください。」
今までより確かに存在感を持って発せられた言葉に、私は目を見開く。
「ずっとを傷つけ続けてきた僕が言えた事じゃないってことは分かってます。
でも、もう僕は・・・なしじゃ、立っていられない。」
弱くてごめんなさい。
もしかしたらまた、僕はあなたを傷つけてしまうかもしれない。
でも、それでも・・・
「傍にいて欲しいんです・・・!」
溢れる涙が、止まらなかった。
信じられなかった。
彼から・・・アレンからこんな言葉を聞けるなんて・・・
これは現実?それとも夢?
分からない。分からなくていい。
今はただ、貴方に会いたい―――
その瞬間、私は身を翻して、私たちを隔てていたドアを開け放った。
そして、驚いて立ちすくむ彼に思いっきり抱きつく。
存在を確かめるように、きつく、力の限り抱きついた。
夢じゃない。
そのことに、また涙が溢れてきた。
彼の胸に顔を埋め、私は漏れそうになる嗚咽を押し殺す。
戸惑っておろおろと自分の名前を呼ぶ彼を遮り、私は、ずっと聞けなかった言葉を呟いた。
「私は、必要? あなたにとって・・・。」
傍に、いさせてくれるの?
あなたは私を、必要としてくれるの?
せわしなく動いていたアレンが、ぴたりと止まった。
表情は見えないけれど、きっと驚いて自分を凝視しているのだろう。
そう思っていると、ふわっと空気が動いた。
すっと背中に暖かい腕が回り、抱きしめられたのが分かった。
「・・・はい。とても・・・。」
耳元で言われた言葉が、すぅっと身体に浸透していく。
じんわりと心が温かくなった。
氷が解けたように、涙が溢れて止まらない。
「・・・ありがとう・・・。」
暗雲が、今やっと晴れたような気がした。
“とアレン君って、ほんとに付き合ってるの?”
この言葉に、今度は笑ってこう言えそうな気がする。
「今頑張ってる最中だよ」・・・と。
***
「うん。」と言わないところがうちのヒロインです(笑)
だってまだ完璧じゃないですから、この2人。これから、です。
2人にとっては必要なステップだったのではないかと、今ちょっと思ってます。
痛かったでしょうに、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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