彼はとても優しい。優しすぎるほどに。

でもそれが、どうしようもなく苦しい

他人には優しすぎるほどに優しく、自分には厳しすぎるほど厳しいあなたに

私は何をしてあげられる?





incompetent





「お帰りなさい」


着いた船から陸に上がってくる姿を見て、私はそう言って迎えた。
私に気づいたアレンは、ふと顔を上げ私の姿を確認すると、ふにゃっと笑って「ただいま」と返してくれた。
疲れきったように見えるその笑みに、ふと疑問を抱く。
他の人だったら見過ごしていたかもしれない、小さな違い。
明らかに覇気のない声、落ちた肩、重い足取り、そして何よりその無理な笑顔。

私が何かあったなと感づくには十分すぎるほどの憔悴振り。
それなのに、何事もないように階段を登っていくその背中は、介入を拒んでいるようで。
相も変わらずなその態度に、私は内心ため息をついた。

コムイさんに報告してきます。と言い置いて先に行ってしまった彼を見送って、私は今回彼のサポート役についていたファインダーを捕まえ、何があったのかを問いただした。
その人は言いにくそうにためらって、それからゆっくりと今回の出来事を順を追って話し出した。
そして、今回の任務で犠牲者が出たことを、知ったのだった。





***





あれから私は、ひたすらアレンの姿を求めて教団中を歩きまわった。
少し肌寒くなってきた空気が、さらに石の壁で冷やされて、ひやりと頬をなでる。
冷たくなった手を握り締めながら、私は立ち止まった。
この廊下の突き当たり、大きな窓の前に、私の探した姿があった。
私の存在にはもう気づいているだろうに、反応もしない背中に、寂しさを覚える。
私はゆっくりと、足音を隠さず、彼の元へ近づいていった。
空気に溶けてしまうくらい小さな声で、話しかける。


「・・・泣いてるの?」

「・・・泣いてませんよ」


これ以上弱くなんてなれません。と、彼は振り返って自嘲気味の笑みを浮かべた。
月明かりの外とは対照的に、この廊下は寒々しく、暗い。
その笑みは、そんな雰囲気に怖いくらい似合っていた。
振り向いたその顔に、実際に涙の跡はなかったけれど、私には泣いているように見えた。
それほどに、揺れる瞳が辛そうだった。


「泣いていいんだよ」


そんな瞳をするくらいならいっそ
彼の隣にたどり着いてそういった私に、彼は緩く首を振った。自嘲気味な笑みはそのままに。


「大丈夫です」


どこが、と、反射的に問い詰めそうになって、私は寸前で思い止まった。
とたんに広がる苦い思いをやりすごしながら、私は窓の外の月を見上げた。
ぬくもりのない、ただあるだけの光。
この光を浴びながら、この優し過ぎるほどに優しい人は何を思っていただろう。
素早く築かれた不透明な壁の向こうは、私には見えない。
やっぱり何を言っても、いい意味でも悪い意味でも、彼は彼のままだ。
長期戦を覚悟し、私は窓の外から目を反らして壁にもたれ掛かった。すると、私がここにいることを言外に汲み取った彼は、困ったように身じろぎした。


「・・・寝ないんですか?」

「アレンは?」

「僕は・・・もう少し、ここにいます。」

「そっか・・・」


そう言ったまま動かない私に、彼は怪訝な顔をする。それに小さい笑みを零して、私は言った。


「約束したでしょ?ずっと傍にいるって。」


はっと瞠目する彼に私は緩く微笑んでみせた。


「だからずっと傍にいる。」


そう言った瞬間、驚きの色に染まっていた彼の顔が、くしゃりと歪んだ。
そして殊更に強い力で引き寄せられる。そしてそのまま、抱きすくめられた。
息が詰まるほどの力に、私の胸が締め付けられたように痛んだ。
でも、こんな痛みどうってことない。きっと彼は、これ以上の痛みをその胸のうちに抱えているはずだから。
だから、願う。

全て吐き出していいよ。溜め込み続けるのは、辛いでしょう?


「・・・ぅ・・・っ!」


押し殺しくぐもった声にならない叫びが耳を掠めた。
ずるずると重力に従って崩れ落ちる身体を、私は支えながら一緒に座り込んだ。
壁から、床から、暖かさが奪われていく。
それでも私は、冷たいとは感じなかった。ただひたすらに、この腕の中で震える温かい人を、支えたいと思った。


「・・・助け・・・られなかった・・・っ!」

「・・・うん・・・。」

「助けるって・・・約束、したのにっ・・・!」

「・・・うん・・・。」


寒さのせいじゃ決してない小刻みな震えが、私の心を締め付けた。
熱くなった目頭を押さえつけるように、私はきつく目を瞑った。
触れ合った部分から、痛みが、悲しみが流れ込んでくるようだった。
ただ、苦しい。やりきれない。





どうしてこんなに、無力なのだろう・・・。





私は出来る限りの力で抱きしめ返した。声にならない言葉に頷きながら、ただひたすらに。
柔らかく冷た過ぎる月明かりに照らされながら、優し過ぎる懺悔に耳を傾け続けた。

痛む胸を、代償に。










あぁ、あなたはこんな思いを味わっていたのね・・・。
全てを共有したいと願っても、そんなこと出来るわけがなくて
ただひとつ共有できるのは、どうしようもないほどの無力感だけ―――











***
微妙にafter a rainとリンクしてます。あの出来事のあったあとのエピソード。


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