どうか、どうか、切に願う。
たった一つしか道が残されていない私が、今際の際に願うことは、ただひとつ。

お願い、生きて―――





最期の やくそく





「探索部隊を送ってください!すぐに!!」


切羽詰った声が室長室に響いた。
何かあったのかと、科学班のメンバーが集まってくる。
ドアを開けるとそこには、室長に掴みかかる勢いで叫ぶアレンの姿。
それを必死にリナリーが抑えている。


「今の感覚・・・絶対に何かあったに違いないんです!今なら間に合うかもしれない!お願いしますコムイさん!」

「アレン君っ・・・落ち着いて!」


詳しいことまでは分からずとも、何となく分かってしまった。
どうやら、アレンが何らかの方法での異変を感じ取ったらしい。
全員の顔に緊張の色が走る。
予期していないわけじゃなかった。けれど、そうでなければいいと思っていたのはみな同じだ。
その時がきてしまったのかと、全員が思い、総毛だった。


「室長!」


そのとき、ドアがけたたましい音と共に開いた。
そこには、探索部隊の男が一人、立っていた。
階段を全力疾走でもしてきたのか、肩で息をし、必死で息を整えようとしているその姿に、疑問より緊張が先だつ。


「何かあったのかい?」


呼ばれたコムイは、出来るだけ冷静を装って声をかける。
それに応えるように、男は抱えていたものを差し出した。
そこには、白いゴーレムがちょこんとおさまっていた。
それにコムイは目を見開く。忘れるわけがない。のゴーレムだ。エクソシスト全員に支給されるコウモリのようなゴーレムを見て、「このゴーレムは可愛くないからいや」と憮然として言い放った彼女のために自分が改造し、そして特別に音声録音機能を取り付けてあげた代物。
本人は、その機能を「無駄」の一言で切り捨ててくれたが。
口ではそんな憎まれ口ばかりだった彼女が、それでもはにかみながら笑って、小さく「ありがとう」と呟いた姿は、今でも鮮明に思い出せる。
コウモリのような一般的なゴーレムとは違う、まるで鳩の翼を連想させる羽を持つゴーレムは、それから彼女と常に共にあった。
彼女の功績と、平和の象徴である鳩のような姿をしたゴーレムを従えるその姿から、彼女のことを戦いの女神のように思っていたものも少なくなかった。

その、常に彼女と共にあったゴーレムが、単独で戻ったと言うことは、それはつまり―――


の・・・姿は・・・?」


いやな予感に胸を潰されそうになりながら、コムイは声を絞り出すようにたずねると、その男は硬く目を瞑り、首を横に振った。
眼前が真っ白に染まった気がした。
力が抜けそうな足を何とか叱咤し、表面上は冷静さを保ったまま、コムイは男を下がらせた。
パタンと音がしたとたん、リナリーはその場に泣き崩れ、他のものも無言でくっと顔を逸らせた。
ぱたぱたと小さな羽音をさせて、手塩にかけて作ったゴーレムが、手のひらに乗る。

どうしてお前だけここへ来たんだ。どうして主人と共に帰らなかったんだ。

やりきれない思いでそれを見つめると、録音ランプが明滅していることを発見した。
その事実に、コムイは目を見開く。
一度も使われなかった機能。「言いたいことがあれば、直接言う」をモットーとしていた彼女は、何度勧めても頑としてそれを使おうとはしなかった。
その信念に強さと同時に、少しの寂しさを感じたものだ。
震える指でボタンを押す。

悲しみに染まる空間に、静かに彼女の声が響いた―――





***





“これはアレン君が持つべきものだよ―――”

そう言われて、寂しそうな笑顔と共に渡されたゴーレムは、軽いのに酷く重く感じた。
このゴーレムから流れた彼女の最期の声を、僕は他人事のように聞いていた。
信じたくなくて。
僕の脳は、その言葉を情報として捉えてはくれなかった。
信じたくなんてなかった。
納得なんて、出来るわけがないのに。
本能は理解していて、直感と呼ぶべきものはそれ以外の選択肢を僕に与えてはくれなくて。
信じたくなんて、ないのに。
彼女の声は、それ以外に逃げることを許してはくれなくて。

かちりと、ボタンを押した。とたんに流れてくる声。
大切だった。大好きだった。安心できた。時には励ましてくれた。彼女の笑顔と共に。彼女の真摯な瞳と共に。
いつも彼女と共にあったものが、今は彼女から離れてここにある。
どうして、こんな違和感があるのだろう。こんな違和感、感じたくなんて、なかった。

ごめんね。と、彼女は言った。ひたすら、ごめん、と。
そんなことはないよと、何度も何度も心の中で返す。
きっと彼女は最期まで、あの別れを悔やんでいたのだろう。いつも僕に優しいね。と寂しそうに言っていたけれど、僕にしてみればのほうが優しかったと思う。

ごめんというくらいなら、帰ってきて欲しかった。

彼女は電話や手紙で思いを伝えるのを嫌った。
それじゃあ言いたいことの半分も伝わらないからと。私は、100%に近い思いを伝えたいんだ、と。
そんな彼女だったから、きっと、帰ってきて伝えたかったんだと思う。
あぁそうか。だから、帰れないこと、思いの全てを伝えられないことに対しても、謝っているのかもしれないなぁと思った。
それなら、なおのこと思う。

ごめんというくらいなら、帰ってきて欲しかった。

それに、「愛してる」なんて、初めて聞いたよ?・・・。

僕は、何度も再生スイッチを押しながらかすかに笑った。
本当に、これは面と向かって聞きたかった。
ゴーレムを通してでもこれだけ胸を打たれるなら、君の姿を見て、君のダイレクトな声で聞けたら、どれほどよかっただろう。それこそ、涙が出るほど嬉しかったに違いない。

帰ってきて欲しかった。
会って、直接聞きたかった。
だってそうじゃなきゃ、僕が言葉を返せない。
僕はまだ1回も、に「愛してる」なんて言ってないんだ。

帰ってきて。
お願いだから、帰ってきてよ。

気がつけば、僕の頬は涙で濡れていた。
きつく唇を噛み締めて、必死に嗚咽を堪える。
に言わせれば、僕は涙腺が弱いらしい。
いつだって、「しょうがないなぁ」と苦笑しながら僕を抱きしめて、背中をぽんぽんと優しく叩くのがだった。
そんなとき、悔しさや恥ずかしさに混じって、かすかに嬉しくて。
「堪えるより泣いて全てを吐き出したほうがいいよ」と囁く声にどうしようもなく安堵して。
でも、
他でもない君に泣かされているときは、僕はどうしたらいいんだろう。
君がいないときは、どうやって安堵し、この思いを昇華すればいいのだろう。

帰ってきて。
、帰ってきてよ。

そうしないと、僕はまた考えてしまう。
愚かな考えが頭をよぎってしまう。

僕はあのときからちっとも成長なんてしちゃいない。
どうなるかなんて、身をもって知っているのに。

求めてしまう。願ってしまう。
また、君に会いたいと。どんなことをしてでも、会いたいと。
どんな形でもいい。どうか、戻ってきて、と。






「“生きて―――”」





はっと、僕は顔を上げた。
手元で、かちりと音を立てて再生が終わったことを告げる。
かすかに、最期に呟かれた言葉。
それをもう一度はっきり聞きたくて、僕はまた再生ボタンを押した。
そこには、変わらず謝罪の言葉と、愛の言葉。そして―――

“生きて―――”

あぁ。と、僕はため息にも似た息をついて天井を見上げた。
涙があふれて止まらない。
彼女は分かっていたのかもしれない。
僕がまた、あの悲しみを繰り返してしまうかもしれないことを。
僕の弱さを、分かっていたのかもしれない。

彼女は望んではいないのだ。そんなことは。
彼女が望むのは、きっとそんなことじゃないのだ。

ごめん、と、僕は内心で彼女に謝った。まったく、最期の最期まで僕は君に叱咤され、背中を押されてばかりだ。


「ありがとう―――」


微笑を浮かべて、僕は流れる涙はそのままにそう呟いた。

約束するよ。君の願うように、生きてみせる。
君が最期に願ってくれたのなら、きっとそれを叶えてみせる。


「約束・・・するよ。」





***





“彼女を迎えに行かせてください―――”


そうアレン君が言い出したのは、次の朝、早朝だった。
一晩中起きていたのか、その目は赤く、泣きはらしたように腫れぼったくなっていた。
しかし、その瞳は強く一心で。
あぁ、乗り越えたのだなと思った。
探索部隊と共に船で発ったアレンを見送り、コムイは大きくため息にも似た息をついた。

先ほど言われた、アレンからの言葉を反芻する。

のごめんは、コムイさんにも向けられていたと思います。せっかく付けてくれたこの機能を、こんなことに使ってしまってごめんって。けど・・・この機能のおかげで、僕は救われましたから・・・。ありがとうございました。きっとも、ありがとうって言ってると思います。」

「そうなのかい?・・・・・・。」


地下水道の天井を見上げながら、コムイはそう呟いた。
このゴーレムを渡したときののはにかんだ微笑が、また鮮やかに蘇ってくる。
最期のとき、はこの機能に感謝してくれたのだろうか。これがあってよかったと、思ってくれたのだろうか。


「そうだったら・・・本望だよ、―――。」


ふっと微笑んで、コムイは部屋に戻るべく踵を返した。










***