駆けつけた先で見たのは、廃墟と化した家。小さい女の子でもいたのだろうか。柱の下から覗く壊れたブランコに、胸が締め付けられる。
そこには色彩がなかった。赤い屋根も、瑞々しい芝生も、全てが黒くくすぶっている。
色あせてしまった世界。それを描き出したのは、アクマ。


(そして私たち・・・だ・・・)


自嘲気味の笑みを浮かべて、はそっと目を伏せた。
しばし黙祷を捧げ、先を急ぐ。

痛いほどの沈黙。それは、全てが終わったあとなのだと言外に伝えてきていた。
無事だろうか、彼は。あまりの惨状に、嫌な想像ばかりが頭をよぎる。事前情報がその不安に拍車をかけた。町中に大量のアクマが出現したということ。そしてその情報を連絡してきたファインダーとは、それっきり連絡がつかないということ。
遅すぎたのだろうか。最悪の事態を想定し、それによる恐怖を振り払うように首を激しく振ると、一番火の手が高く上がる町の中心部へと走った。
走れば走るほど、街の惨状が激しさを増す。だんだんと形を成さなくなる家。焼け焦げたあと。割れたガラスの破片がちろちろと燃える火を映して光る。
「これは酷い」と誰かが呟くのが聞こえた。現場に慣れたファインダーですら、顔を歪めずにはいられなかったようだ。
遠ざけた恐怖がまたひたひたと歩み寄ってくる音がする。それを振り切るようにスピードを上げた。
早く彼を見つけたかった。
瓦礫に足場をとられながら、先を急ぐ。
目指す先に、広場のように開けた場所が見えてきた。傾いた時計台が、少し前で時を止めている。


(いた・・・!)


広場の中央に、自分と同じ団服を着た少年が座り込んでいるのが見えた。
何をしているのか、背中からは伺うことが出来ない。でも、生きていてくれた。まだこの世界にいてくれた。そのことにとりあえず安堵する。
それでも、予感か直感か、背筋にすぅっと氷塊が落ちる感覚に、は息を呑んだ。
壊れた人形のような雰囲気。それは、いつもの彼がまとうものとは違う。そして、私はその気配に覚えがあった。あれはそう、心が壊れてしまったように、抜け殻のようになってしまった、あのときの―――
遅かったのだろうか。感じた予感がじわじわと確信へと変わっていく感覚がする。それは確実に最悪な方へと目の前の出来事を導いていた。その事実にぴたりと足が止まる。
後を追ってきていたファインダーの一人が、訝しげにこちらを覗き見た。強張った顔を見られたくなくて、その視線を俯くことでかわした。
落ち着け。落ち着け。と自分に言い聞かせる。そして心の中で3秒数え、顔をあげた。
しっかりしなければ。ここの現場を仕切るのは、自分なのだから。


「皆さんは生存者の確認、および保護に向かってください。まだアクマもいるかもしれない。十分に注意してください。」


落ち着いたその言葉に、皆がそれぞれ心得たようにバラバラに散っていく。その中に、少し先にうずくまる彼に駆け寄ろうとする人がいた。
私はそれを手を伸ばして引き止める。訝しげにこちらを振り返るその人に少しだけ無理をして笑いかけた。


「ここは、私が。」


だから他に向かってください。という私の言葉にその人はためらいながらも頷き、踵を返し、廃墟の町へと消えていった。

そしてまた静寂が戻った。時折聞こえるのは、かすかに燻る火が立てる音と、廃墟をなめるようにふいていく炎の残滓を含んだ生暖かい風の音だけだった。
私たちが到着した足音は聞こえていただろうに、少年はぴくりとも反応を示さない。
その様子にさっき振り切った不安がまた圧し掛かってきて、私の足は縫いとめられたように動けなくなった。
いけない。これじゃいけない。と焦る心が叱咤する。
早く彼の元に行ってあげなきゃ。優しく肩に手を置いて、「アレン」と呼びかけて、ふんわりと抱きしめてあげなければ。
そう、次に起こす行動は決まっているのに、なぜか身体は動いてくれない。足に枷でもはめられてしまったみたいだ。
それでも意識して鉛のような足を持ち上げ、一歩一歩彼の元へ歩み寄っていった。





***





彼の斜め後ろで、私は歩みを止めた。
最後の一歩はわざとざっと足音を立てた。自分がここに来たことを知らせるように。彼がそれに気づいて顔をあげてくれないかしらと少しの期待をしながら。
それでも、糸が切れたマリオネットのような彼からは何の反応も返ってこなかった。
今の彼の世界には私は存在すらしていないようで、悲しくなる。
いつだって私が近づくと振り返って、笑ってくれたから。
私のために、彼は世界を広げてくれたから。


「・・・アレン・・・。」


囁くように、彼の名前を呟いた。
それでも、彼は何も応えない。
そのことに胸が痛むのを感じながら、私はそっと彼の傍に近寄り、ゆっくりと膝をついた。

彼は泣いていた。手に、小さなテディベアを持ちながら。
煤に汚れたそれは、片手が綻び、かろうじて数本の糸で繋がっている。
首に結ばれた赤いリボン。持ち主は女の子だったのだろうか。
持ち主と思われる幼い子は、ここにはいなかった。
雰囲気だけで察せてしまう。ここで、何があったのか。容易に。

声もなくただそれを見つめ、涙を流すその姿に恐怖にも似た不安を覚える。
馬鹿なくらいに他人にのめり込んで、その人と同じくらいの思いを共有しようとする彼だからこそ。
戦争という最大の悲劇には不釣合いなくらい、優しい人だから。
美徳ともいえる彼の長所も、戦争という時代の中では一瞬にして短所に変わる。
壊れてしまう。そう思った。

こういうとき、女神様のように慈愛に満ちた人は、なんと声をかけるのだろう。
どういう言霊で、彼を絶望と悲しみの淵から救いあげ、再び立ち上がらせることが出来るだろう。
馬鹿で女神様でもない私には、陳腐な慰めの言葉しか咄嗟には出てこない。
それでは駄目だと分かっているのに、それ以外の言葉なんて浮かんでは来ないのだ。

自分が歯がゆい。歯がゆくて、いっそ憎らしいほど。
支えると決めたのに。彼が特別に大切な人だと気づいたあの瞬間から、私の全てで彼を守ると決めたのに。
いざそういう場面に立ってみれば、何も出来やしない。
そんな自分が、めちゃめちゃにしてやりたいほど憎らしい。
想いの奔流が、涙となって溢れてきた。泣いている場合じゃないのにと気丈に自分を叱咤しても、どうしてもとまらない。

声をかけることも出来ず、かといって立ち去ることも出来るわけもなく。
ただただ、涙を流すアレンの横顔と、その手にある小さなテディベアを見る。

アレンは恐らく守れなかったのだろう。このテディベアの持ち主を。
それも仕方ないのかもしれない。報告を受けたとき、そのあまりのアクマの多さに息を呑むほどだった。
彼が生きていられたのが、奇跡に等しい。
だから、守れなくても仕方ない。彼は神の使徒ではあるけれど、神ではないのだから。
それでも、彼にとってはそれはただの理論で、言い訳にもならないのだろう。
守れなかった。それだけが、彼の全て。出来るできないの可能性の問題ではないのだから。
決めたら、やりとげるのだ。命を懸けて。
だからこそ、やり遂げられなかったときは、誰よりも自分を責めるのだ。どうして出来なかったのだと。

そんな彼に、私はどんな言葉をかけてあげたらいいのだろう。

なんて難しいのだろう。“人を支える”ということは。

大丈夫?なんて言葉は論外。「あなたが悪いんじゃないよ。」「あなたは最後までよく頑張ったわ。」・・・違う。こんな言葉を言っても、彼の胸にはそよ風も吹かないだろう。
考えろ。考えるんだ。こんなとき、私なら、どんな言葉をかけてもらいたい?

必死に必死に頭をめぐらせていると、ふとテディベアと目が合ったような気がした。
愛らしい顔は、煤に汚れていたが、まんまるな瞳だけは燻った火を反射して輝いていた。
ふいに吸い込まれるような感覚に陥る。今ここに、このテディベアと私だけしかいないような、そんな感覚。
その輝く瞳の奥に、小さな何かを見つけた気がした。急速に、思考が組みあがっていく。そして、目の前が開けたような気がした。

その小さな瞳に導かれるようにして、私の行動は、決まった。





***





「アレン。」


私に出来る精一杯の優しい声で、彼の名前を呼ぶ。反応はない。でも、さっきと違い、今は構わなかった。
彼の前に回りこんだ私は、ためらいもなくしゃがむと、慎重に彼の手からテディベアを抜き取った。
そのとき、初めて彼が反応を示す。ぱっと上がった顔に、私は優しく微笑んだ。
手に持ったテディベアを彼の手のひらにちょこんと立たせる。そして、千切れそうな手とは反対側の手をつまむと、アレンに向けてひょいひょいと振ってみせた。
私のその行動に、彼はただ目を見開き、私が操るテディベアを凝視している。
その様子を見て微笑むと、私は静かに目を閉じた。


「ありがとう。」

「え・・・?」


初めて彼が声を漏らした。それは掠れて消えてしまいそうなほど小さいものだったけれど。


「お兄ちゃん、ありがとう。」

「・・・。」


囁くように、でもはっきりと届くように、私は言った。
そして、心の中でこのテディベアの持ち主にいいかな。と尋ねる。
こんな感じでいいかな。この言葉で、合ってる?
閉じた瞳の奥で、誰かが笑ってくれた気がした。頷いてくれた、気がした。

目を開けると、涙に濡れたアレンの瞳が、私をじっと見つめていた。
驚きが抜けないようなその視線に、ちょっぴり照れくさくなって、私は苦笑を返す。


・・・。」

「この子の持ち主なら、きっとそう言うよ。・・・この子が・・・教えてくれたんだ。」


そう言って、そのテディベアを彼の胸にぽすっと押し付けた。
アレンは押し付けられたテディベアを恐る恐る手に取り、じっとそれを凝視した。
そして、顔を歪ませたかと思うと、ぎゅっと胸に掻き抱き、泣いた。
きっと、おそらく、さっきとは違う涙が、ぱたぱたと地面を濡らした。

もう、大丈夫だ。

緊張のせいかいつの間にか強張っていた肩から力を抜き、はほうとため息をつきながら空を見上げた。
空は雲のせいか、燻った町の煙のせいか、霞んで見えた。
弱弱しい太陽の光を、目を細めて見つめた。


(ありがとう)


私は、微笑んで私を導いてくれた少女を思った。
あのとき、テディベアの瞳の奥で、あなたが私に教えてくれた。そのおかげで、こうして今がある。
ありがとう。あなたのおかげよ。
それに応えて、太陽がちかりと瞬いたような気がした。










***
あぁ、最後失速した感じが・・・!
今回は情景描写に力を入れてみました(笑)おかげで他がおろそかに・・・!(ヒィ!)


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