いつもの授業風景。
小難しい図形を使って一生懸命マイペースに授業を進める先生の声。次々に図形に付け足されていくメモの数。
それらをどこか遠くの出来事のように感じながら、私はいつもの場所に座っていた。
形ばかりに教科書やノートを広げてみたものの、付け足された文字は一つもない。
私の心を占めるのは、別のことだったからだ。

私は、どんな錬金術師になりたいんだろう―――

厳しい言葉とともに投げかけられた言葉は、私の心に深く突き刺さった。
私は今も、その答えを見つけられないでいる。

だって私は今まで国家錬金術師になることだけを目標にしてきたのだから。
最初の動機は不純でも、今は国家資格を取ることに憧れを抱き、それに向かってまい進してきた。
私と同じように、国家錬金術師を目指す若者は、今この教室の中にたくさんいる。
そのために、彼らはこの学校に入学してきたのだから。そして私も例外ではなかった。

それなのに、私が目標とした国家錬金術師は、その夢を、目標を捨てろと言う。
そして代わりに提示されたのは、あまりにも漠然とした問い。

つまり彼は、私に新しい道を模索させようとしているのだ。
今まで信じ続けていたものを、捨てて。

そんなこと、簡単にできるわけがなかった。

目標を見失った私は、授業に身が入るわけがなく。
その日の授業は、ただそこにいるだけという状態で過ぎていった。





***





(行きたくないなぁ・・・)

だんだん傾いていく夕日を背に、私はとぼとぼと歩いていた。
結局どうして学校に行ったんだか分らないような状態で授業を終え、そして今もどうして向かっているのか分からない状態で図

書館へと足を進めている。
もうこれは身に染みついてしまった習慣というやつなのだろうか。恐ろしい。
意志とは関係なく動いていた足が、ぴたりと止まった。
目の前にそびえる大きな図書館を見上げる。

(・・・いるかなぁ・・・)

私がいつもいるのはどこら辺だろうと、等間隔に並ぶ窓を見渡す。けれど、あまりにも特徴がなさ過ぎて見当がつかない。
ちらりとでもあの赤いコートが見えればいいのにと思う。日の光をはじく、あの明るい金髪が見えればいいのに、と。
ちらりとでも見えたなら、私にはすぐにわかるのに。と妙な自信があった。

けれど、いくら見渡しても、それらしい人影を見つけることが出来なかった。





***





とぼとぼと、今度は家への道のりを歩いていた。
胸の奥が重く沈み、何か重い荷物を引きずっているかのように足が重い。
いつもより早い時間に歩いていると、今まで会えなかった人とすれ違い、何となく違った景色に見える。
少し眩しく見えるのは、夕陽のせいだろうか。それとも、自分が沈んでいるせいだろうか。
はぁ、と何度目かのため息をついて、私はいつもと違った空気をはらんだ道を歩いて行った。


「あら、ちゃんじゃない。今日は早いのねぇ。」


もうすぐ家という時に、ふいに横から声をかけられた。


「あ・・・お隣の・・・。」


そこには、アパートの隣に住んでいるおばさんが立っていた。買い物かごをさげているところを見ると、買い物の帰りらしい。
このおばさんはこちらに引越してきてからなにかとお世話になっている人だった。


「まぁ久しぶり。どう?頑張ってる?お勉強。」

「え、えぇ、まぁ。」


責められてもいないのに、どきりと胸が鳴る。
にこにこと笑って言われた言葉に、私はうまく動かない顔の筋肉を一生懸命動かして、何とか笑みの形を作る。
そんな私の様子には気づいた様子もなく、彼女は何か思いついたというようにパッと顔を輝かせた。


「あ、そういえばちゃんって錬金術のお勉強してるんだったわよね。」

「え、あ、はい。」

「ちょうどよかった!ねぇ、申し訳ないんだけど、ちょっと直して欲しいものがあるの。」

「直して欲しいもの・・・ですか?」

「そう、この前大切な壺を割っちゃって・・・。お願いしてもいいかしら?」


お願い!と顔の前で手を合わせて拝んでくるおばさんの様子に、私は押されたように頷いたのだった。





***





「お邪魔しま〜す・・・。」


そろりとドアから顔を出して、ぱたぱたと駆けていくおばさんの後を追った。
花瓶を直すため招き入れられたおばさんの家。実は、入るのは初めてだったりする。
何となく人様の家というだけで妙に緊張してしまい、そわそわしてしまう。
所在なさげに周囲を見回していると、リビングと思われる方向から私を呼ぶ声がした。
早歩きにそちらへと向かうと、机の上に風呂敷包みが置かれ、その横でおばさんが立ってこっちを見つめていた。


「こっちよ、ちゃん。これなんだけど・・・。」


そう言ってぱらりと包みを解く。と、そこには見事に粉々になった花瓶の残骸があった。
思わず「うわぁ・・・。」と声を漏らしてしまう。


「出来るかしら?」


不安そうにおばさんがこちらを覗きこんできた。
それに頷いて大きめの紙と、この花瓶の写真か何か、割れる前の状態が分かるものを頼んだ。修復する形が分からない限り、再

構築は難しいのだ。
「分かったわ」と言っておばさんが別の部屋にひっこむ。
ひとり残された私は、これから描こうとする錬成陣を頭の中に描こうと思考を巡らせたところで

がちゃ

(ん?)

おばさんが出て行ったのとは別のドアが開き、そこから見た目おばさんのお母さん(つまりはおばあちゃん)のような人がひょ

っこりと顔を出した。
驚いたように固まる私の姿を見て、その人も驚いたような顔をする。そして、割れた壺に目をやり、訝しげな顔でこちらを見て

きた。
確かに見知らぬ子どもと割れた壺の取り合わせは何とも予想もつかない取り合わせだろう。ありえるとしたら、壺を割った犯人

・・・とか?


(冗談じゃない!)


そんな誤解を受けるのは不本意だ。
慌てて何か話しかけようとすると、おばさんがぱたぱたと軽いスリッパの音を立てながら戻ってきた。
ほっと息をついていると、おばさんが「お待たせ!」と笑顔を浮かべて話しかけてきた。


「ごめんね、お待たせ!これでいいかしら?」

「あ、はい、大丈夫です。」


持ってきてくれたA3サイズの紙と壺の写真を受け取り、私は大きくうなづいた。
そして早速錬成陣を描く作業に取り掛かる。
慎重に丁寧に陣を書き込んでいく。おばさんとおばあさんがじっとこちらを見ているのを感じた。
妙に居心地の悪さを感じながら、書きあがった錬成陣を一通り見まわした。


「よし。」


それを敷き、上に壺のかけらを乗せ、深呼吸をして錬成陣に手を置く。
頭に写真で見た壺を思い浮かべながら、錬成陣を発動させた。
バチバチッという錬成音とともに、だんだん壺が再構築されていく。
光や音が消えた後には、写真で見た通りの壺が紙の上に乗っていた。


「まぁ!すごいわ!!」


手をたたきながらおばさんが歓声を上げる。
その隣でおばあさんも感心したように眼を丸くしていた。


「ありがとう、ちゃん!さすがは未来の国家錬金術師ね!」

「いえ・・・。」


私の手を取り、今にも飛び跳ねそうな勢いで喜ぶおばさんの言葉に、迷いなく頷くことができず、私は曖昧に微笑んだ。
今までだったらにっこりと笑って照れながらも誇らしく思うことができたのに・・・。
そう考えると、私に迷いを植え付けた彼が少しだけ憎らしく思えてしまった。


「・・・なんだって?」


そのとき、喜びに染まる室内に似つかわしくない張りつめた声が聞こえた。
振り返ると、先ほどまで目を丸くして壺を見ていたおばあさんが、険しい目でこちらを睨んでいた。
そのただならぬ雰囲気に、思わず息をのんでしまう。


「あんた・・・国家錬金術師になるのかい?」

「え・・・。」


こちらをまっすぐ見つめるおばあさんに、ただならぬ気配を感じ、私は思わず後ずさってしまう。
しかし、おばあさんの眼はまっすぐにこちらを射ぬいたまま揺れることはない。
その雰囲気に圧倒されながらも、私はようやくかすかに首を縦に振った。
その瞬間、おばあさんの顔がさっと強張った。


「やめときな!」

「え・・・。」


怒りとも憎しみともとれる感情をはらんだ声が響いた。
その迫力に体をびくりと震わせながら、必死に言われた言葉を理解しようと務めた。
やめろ…って…国家錬金術師になることを?

この人も、彼と同じことを言うの・・・?


「おかあさん、落ち着いてください。ちゃんが怖がってるわ。」

「いいや、これが落ち着いていられるかい。いいかいあんた、国家錬金術師になんてなるもんじゃないよ。」


焦り、必死に止めようとするおばさんの言葉を振り切って、そのおばあさんは私にそういった。
それを私は茫然と受け止めるしかない。返す言葉が、見つからなかった。
少し前までの私なら、納得がいかないとばかりに言葉を返していただろう。彼に向かってそうしたように。
けれど、今の私には、できなかった。


「どう、して・・・ですか・・・。」


口がすごく乾く。うまく動かせない。
かすれた声でそう紡ぐのが精いっぱいだった。


「どうしてだって?決まってるじゃないか。やつらはお金と権力を得るために、大衆のためにあるべき錬金術を売って軍の狗に

なりさがったんだよ?自分の私利私欲のために・・・冗談じゃないね。それに、ひとたび戦争が起きれば人間兵器として何人も

の人間を殺すじゃないか。そんなのになりたいってのかい、あんたは!」


衝撃が、走った。
とっさにちがうと口が動いた。しかし、それは声にならなかった。
私の冷静な部分が言うのだ。



ちがわない。

それも‘国家錬金術師’だ、と。





あぁ、こういうことか、と衝撃に埋もれていた心のどこかが理解した。

彼の言っていたのは、こういうことだ、と。

同じことを言われていたのに、今頃になってその言葉の重みに気づくなんて、私はやっぱり馬鹿なのかもしれない。





「おかあさん、なんてことを!・・・ちゃん、ごめんなさいね。・・・ちゃん?」

「・・・だい、じょうぶ・・・です。」


心配そうにこちらの様子をうかがってくるおばさんに、私はなんでもないように微笑んだ。
それを見て、おばさんの顔が申し訳なさそうにゆがむ。
うまく笑えなかったことを悟り、私は取り繕うようにうつむいてしまっていた顔をあげ、おばさんに向かって再度微笑んで見せ

た。


「少しびっくりしただけです。本当に、大丈夫です。」


すみませんと言いながら苦笑すると、少しだけおばさんの顔が和らいだ。
それを見て私はほっとする。
大きく深呼吸して、今できるだけの平静を装って、未だににらみ続けるおばあさんへと向きなおった。


「おばあさんの、おっしゃる通りです。・・・きちんと向きあって、もう一度、考えてみます・・・。」


ありがとうございましたと頭を下げると、おばあさんはふいっと顔をそらし、奥へ入ってしまった。
それをじっと見つめた後、私はおばさんに向きなおった。


「えと、それじゃあすみません、私、課題があるので、そろそろお暇しますね。」

「あ、そうね・・・ごめんなさいね、引きとめちゃって。」

「いえ、力になれて何よりです。それじゃ、失礼します。」

「・・・ありがとうちゃん。お勉強、頑張ってね。」

「はい。」


にこにこと笑いながらおばさんの家を出、自分の部屋に戻ったとたん、私はその場に座り込んでしまった。
考えないように封じ込めていたものが、堰を切ったように一気に押し寄せてくる。


「ふっ・・・うぅっ・・・。」


心がぐちゃぐちゃで、パンク寸前だった。
苦しい。痛い。心が、ありもしない逃げ場を探している。
重くのしかかるものを押し流すように、私はその場で泣いた。

おばあさんの言葉が、何度も私の中で響いた。

『軍の狗』『人殺し』『殺人兵器』

その鋭い視線が、何度も私を射ぬいてくる。

あれは、嫌悪の視線だ。国家錬金術師に対する、軽蔑の色。
私が今まで感じたことのない、国家錬金術師のもうひとつの評価。
彼が、私から遠ざけようとしてくれたもの。
それなのに、私は・・・


「ごめんなさ・・・っ」


言われてようやく、理解することができた。

彼が、エドワードさんが言った言葉の意味を。





国家錬金術師になるということは、世間の辛い批評も背負って生きていくことになるのだと―





私はこのとき、ようやく理解したのだ。










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