エドワードは疑っていた。
その日も、黙々と図書館で本を読みながら、時折ちらりと数個離れた席を見る。
そこには、いつもと変わらぬの姿があった。真剣な目で手元の本を凝視している。
その様子を見て、エドワードはまた不信げに眉を寄せた。
(本の難易度が上がってやがる・・・)
盛大に喧嘩別れしてから、がエドワードに対し、錬金術の教えを請うことはなくなった。
最初は清々したと思っていた。
が、やはり少し言い過ぎたと思い、謝るべきかぐるぐると考え込んだのだが、次の日、何もなかったかのような元気でいつも通りの様子のに、エドワードは内心胸をなでおろした。
今度尋ねて来たらきちんと受け答えてやろう。と密かな決意をし、の様子を気にしつつ待っていたのだが、一向に来る気配がない。
そして気になって後ろを通りざま本の中身を覗き見れば、あのときより格段にレベルの上がった本を読んでいたのだ。
初歩で躓いていたが・・・信じられない。
あれから、日を追うごとに本の難易度はアップしていった。それを平然と読んでいる。理解できていない・・・という様子もない。
手がかからなくなった。という点では喜ばしいことだが、エドワードは何か釈然としないものを感じていた。
(もっと親切に教えてりゃよかった)
それは俗に言う「寂しい」という感情なのだが、良くも悪くも本人はそれに気づけなかった。
***
「今日はね、ここが分からなかったの。」
「あぁ、ここは少しややこしいからね。いいかい?ここが・・・」
夜―――
は、クラウドから錬金術を教えてもらっていた。
昼理解できなかったところを、クラウドに聞くのだ。
『は頭がいいから、いちから全部教えるより分からないところを重点的にやれば十分だと思うよ―――』
錬金術講義の初日、一から全部教わる準備をしていたに、クラウドはそう告げたのだ。
そして、その方法はとても効率のいい方法だった。
こうしては、短期間でめきめきと力をつけていったのである。
「で、この図形が当てはまって・・・ほら、完成。」
「はー・・・なるほど。そーゆーことか。」
「納得いただけましたか?」
「いただけたいただけた。大満足でーす。」
「それはよかった。」
満足げに練成陣の書かれた用紙を見つめ、息をつくに、クラウドは優しい微笑みを向ける。
少女の表情を見れば、疑問が解決したことは明らかだった。
くるくるとよく変わる表情は彼女の感情を豊かに表現していて、とても分かりやすい。
「ありがとね、クラウド。」
「どう致しまして。・・・ようやく名前で普通に呼んでくれるようになったね。」
「え?」
きょとんと見上げてくるに、クラウドは苦笑を滲ませた笑みを浮かべた。
「ほら、出会ったころはあんた、とか、変態、とか、ろくな呼びかたしてくれなかったでしょ。」
「だって実際変態で不法侵入者だったじゃない。」
「酷いなぁ。・・・じゃあ今は違うって認めてくれてるの?」
「全っ然。」
「おや。」
ある意味予想通りなような、予想外なような返答に、クラウドは意外そうな声をあげる。
じゃあなんで?と興味しんしんにこちらを見つめてくる目を嫌そうに見つめながら、は言い放った。
「ただ、一応仮にも不本意だけど教えてもらってるわけだから、流石に変態とかあんたとかは呼べないじゃない。だから。それだけよ。断じて不法侵入を認めたわけじゃないわ。ってかいい加減ドアからふつーに入ってきてよ。」
「うーん・・・でもあれが僕のスタンスだからなぁ・・・。」
「非常識なスタンス持つな!!」
のん気に言うクラウドに怒りの沸点を超えたのか、が手元にあった本(辞書並の大きさ)を手に取り、クラウドに向かって投げつける。
が、なんでもないようにひょいとかわされ、標的を見失った本は壁に派手な音を立ててぶつかり、ぼとりと地面に落ち、沈黙した。
「危ないじゃないか、。」
「あんたの様子見てると危ないの基準が狂うのよ!!」
あぁもう!あんたが避けたせいで拾いに行かなきゃならなくなったじゃない!
とぶつぶつ言いながら任務を果たせなかった本を拾いにどすどすと歩いていく。
それを苦笑しながら見ていると、ふいに物音が聞こえた。
「・・・それじゃ、。今日のところは帰るね。」
「え?・・・あ、そうなの?」
「うん、さっきの衝撃でどっかの誰かさんが気づいちゃったみたい。・・・じゃあね。」
「え・・・あっ。」
どっかの誰かさんって?と一瞬考え、そしてはっと気づいたときにはカーテンが風に揺れていたのだった。
(相変わらず素早いやつね・・・ってか、いい加減窓から出入りするのやめろっつーの)
と心の中で彼をなじっていると、ばーんと派手な音を立ててドアが開いた。
と、同時に。
「ーーーーー!!!!!!!」
(ひえぇ・・・っ)
怒りに満ち満ちた形相で立っていたのは、エドワードだった。
途端に嫌な汗とともに暴れだした心臓が口から飛び出しそうなくらいにばくばくしている。
(そういや、本がぶつかった壁の向こうってエドとアルの部屋だっけ・・・うわ、やっば〜・・・。)
分厚い壁でも、辞書並の大きさの本がぶつかった衝撃はバッチリと向こうに伝わっていたらしい。
「エ、エド・・・。」
「テメェ・・・今何時だと思ってやがる!?」
「えーと・・・夜中の2時くらい・・・かな?」
「んな時間に騒音公害ぶっこいてんじゃねーーーー!!!!」
「ごめんなさーい!!」
下手すれば食われそうだと思うくらいの勢いで言い募ってくるエドワードに、は縮こまって謝ることしか出来ない。
永遠に続くかと思われたが、それは救世主の手によって阻まれた。
ごん、という痛そうな音がした瞬間、目の前にいたエドワードが消え、鎧の体が現れる。弟のアルフォンスだ。
「もう、兄さんったら。兄さんが一番の公害じゃないか。やめてよね、こんな夜中に大声なんて。」
「アルゥゥ!!・・・助かった!」
「大丈夫だった?。ごめんね、兄さんちょっと今苛立ってて・・・。」
うずくまって痛みに耐えているエドワードを指して、アルフォンスは申し訳なさそうに言う。
はそれに笑って首を振った。
「いいよ。うるさくしちゃった私も悪いんだし。でもエド、どうして苛立ってるの?」
不思議そうにが聞くと、アルフォンスが途端にむふーん・・・と何かを含んだような笑みを浮かべる。
「それはね、・・・」
「わー!ストップストップ!!!ストーーーっプ!!!!」
「うるさいよ、エド。」
「うるさいよ、兄さん。」
途端に復活し、声をあげたエドワードだが、今度は2人によってうずくまるはめになるのだった。
「〜〜〜〜〜〜〜っっ!!」
「まーったく。ご近所迷惑になるって最初に怒鳴り込んできたのはあんたでしょー?」
「ほんとだよ・・・ミイラがミイラ取りになるなんて洒落にならないってば・・・ってあれ、、その本・・・。」
先ほどエドを黙らせるために振り下ろした姿勢のまま言うに、ふとアルフォンスが尋ねる。
これ?と不思議そうに本を掲げてみせるに、アルフォンスは軽く頷いた。
「この前借りてた本より難しい本だよね。・・・今まで勉強してたの?」
「そう。やりだしたら止まらなくなっちゃって。」
「それで分からなくなって本を壁に向かって投げつけたのか?」
痛みから復活したエドワードが皮肉げに言う。
むかっときて本を振り上げると、エドワードは2度目は食らうかといった様子で素早く右手でガードする。
「失礼なやつね!!」
「そうじゃなきゃなんで本を壁に投げつけるんだよ!?」
「それは・・・っ!」
クラウドが・・・と言いかけて、ははっと口を閉ざした。
クラウドのことはこの兄弟には話していなかった。
言いそびれたというのもあるが、クラウド自身が彼らとの接触を避けているような気がしたのだ。
それに、自分としても夜中窓から侵入してくる変態非常識男に錬金術を教わっている・・・なんてこと、言えるはずもない。
黙り込んでしまったに、エドワードは図星か、とにやりと笑った。
「ったく、分からないなら聞きにこればよかったのによ・・・。」
どこだよ、教えてやるよ。と言いながらの手にある本を取ろうと手を伸ばしたが、寸でのところでひょいと避けられてしまう。
むっとして顔をあげると、がこちらを睨みつけていた。
「なんだよ。」
「エドの手は借りないって決めてるの。」
「はぁ?」
「エドに教えてもらわなくても大丈夫だって言ってんの!」
ぽかんとするエドワードに、は言い募った。
「エドになんて教えてもらわなくたってちゃんと理解できてるからいいんですー!分からなかった問題もきちんと理解したもの。だから、わざわざ天才錬金術師様のお手を借りなくても十分です!!
ほら、いつまで私の部屋にいるのよ!とっとと出てって!!」
立ち尽くしているエドワードをくるりと方向転換させると、ぐいぐいとドアに向かって押し始めた。
お、おい・・・と焦ったような声が聞こえるが、は無視してぐいぐいと更に力を入れて押していった。
「はい、じゃあおやすみなさい!!また明日!!」
「あ、おい!」
何か言いかけたエドワードの声を遮るように、はぱたんとドアを閉めたのだった。
ふー・・・とドアにもたれ、息をついたにまだ部屋に残っていたアルフォンスが恐る恐る声をかける。
「えーと・・・?」
「ん?あぁ、アル・・・」
「なんか兄さん偉そうな言い方してたけど、本当はずっとのこと気にかけてたんだよ?」
「・・・エドが?」
「うん、そのせいで文献にも思うように集中できてなくてさ・・・最近苛立ってたのは、それが原因なんだ。」
「・・・。」
思わぬ告白に、は黙り込んでしまう。
「あの・・・えと、。何かあったらいつでも相談してね。話聞いたりとかできるし、あと錬金術とかなら、僕でも役に立てると思うし・・・分からないとことか、あったら遠慮なく聞いてよ。」
「アル・・・。」
必死におろおろしながらもそう言ってくれるアルフォンスに、の心はほんのり暖かくなる。
はふわりと笑って、アルフォンスの鎧を軽く叩いた。
「ありがと、アル。錬金術なら大丈夫だから。私には、優秀な先生がついてるし・・・ね?」
「え?」
「エドに、ごめんって言っといてくれる?」
「・・・っうん!」
苦笑しながら言った言葉に、アルフォンスは嬉しそうに返事をして部屋を出て行った。
それを微笑みながら見送って、はふうと息をつく。
ま、たまーにちょっとは、頼ってやるかな。
ぶっきらぼうで偉そうに、でも教えてくれると言ってくれたミニマム天才錬金術師に、心の中で答えたのだった。
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