月明かりの明るい夜だった。
家に帰った私は、ご飯も食べず、電話にも出ず、ずっと明るい月を眺めていた。

終わってしまった。

その事実と、どうしようもない空虚感が、ただ私の心を支配している。

私は、今日いったい何をしたんだろう。
心の整理をするつもりが、声に出せないわがままを自覚しただけで終わってしまった。
最後のさよならも、言えなかった。
元気でねって、笑って言えたら良かったのに。
そうしたら、彼は困ったような笑みを向けはしなかったのに。
気持ちも、本音も、隠し通すつもりだったのなら、どうして最後まで出来なかったのか。
後悔と自責の念だけが残る。

こんな終わり方はしたくなかった。


「・・・やり直したい・・・。」


もう一度、彼にちゃんとさよならが言いたい。





そう思った瞬間、私は家を飛び出していた。





***





兄さんは、今日様子がおかしかった。
いや、おかしかったじゃない。今もおかしい。
いつもは騒がしい兄さんが、じっと天井を見つめたままピクリとも動かないなんて。
心配って言うよりいっそ不気味。
いつからこんなになったっけ?・・・昨日、その前かな?





「兄さん、ここの図書館もいい資料はなさそうだね。」


図書館からの帰り道で僕はそう切り出した。
いつもなら悔しそうに顔を歪ませたりする兄さんが、その日だけは違ってた。


「・・・そうだな。」


沈黙の後、ぽつりとそう呟いたのだ。顔も上げずに、俯いたまま。
そして、いつもなら僕が止めてもすぐに次の町へと行こうとする兄さんが、今回だけは


「・・・この町を出るの・・・もう少し、待ってくれるか?」


苦笑しながら、そう言ったんだ。





兄さんがどんな意図で出発の日を延ばしたかは知らない。
今の様子と、何か関係があるのだろうか。


「・・・兄さん。」

「・・・・・・・・・・・・ん〜?」


・・・駄目だこりゃ。
完全に心ここにあらずの状態の兄さんにため息をついて、僕はなんともなしに窓の外を見た。


「・・・あれ?」


街灯だけの道に、ぽつりと佇む人影があった。
僕はじっと目を凝らしてみる。どこかで・・・どこかで見たことが・・・


「・・・あっ!」


そうだ、思い出した。
兄さんの近くで錬金術の本を読んでいた、女の子だ。
直接会話とかはしたことはないけど、毎日見かけていたから覚えている。
兄さんと同じくらい、集中力があって、勉強熱心だった。
そんな彼女が、どうしてこんなところに?


「・・・どうした?」

「わっ!」


さっきまで全然動きもしなかった兄さんから話しかけられて、びっくりした。
けだるそうに起き上がってこっちを見ている兄さんは、何やってんだといいたげな顔だ。
それは僕のせりふだよ・・・。


「あの、外にね、兄さんの近くで勉強していた女の子がいるんだけど・・・って、兄さん!?」


訝しげに聞いていた兄さんは突如その顔を驚きの色に染めると、僕の言葉を最後まで聞かずに一瞬で部屋を飛び出していった。





***





軍のホテルの前まで来たものの、それ以上どうすることも出来なくて、私はひたすら前をうろうろしていた。
とりあえずやり直したいと思って飛び出してきたはいいものの、何も考えてなかった。
っていうか、その前にここで合っているのかも怪しい。
この町はなかなか広いので、軍の施設はいくつかあるのだ。


「・・・帰ろうかな。」


いくら軍に悪い印象がなくても、やっぱり乗り込んでいくのはためらわれる。
侵入者扱いされて、銃でも向けられたらとか考えてしまう。
これは今まで何もせずにただ過ごしていた私への報いだろうか。
いつもに固執しすぎた、報いなのだろうか。

いまさら・・・なのかもしれない。

私はふぅ・・・とため息をつくと、帰ろうときびすを返した。


そのとき、


「・・・おい!」


ばたんという激しい音とともに、私が望んでいた彼の声がした。
思わず振り返り、まじまじと凝視してしまう。
彼は急いできたのか肩で息をして、じっとこっちを見つめている。
私は驚きのあまりその場で固まった。
会えたという喜びより、どうしてという疑問のほうが頭の中を支配した。

ドアを開けた体勢のまま止まっていた彼が、すっとこちらへ歩いてきた。
とたんに緊張が走る。
怒られるだろうか。迷惑だっただろうか。
だんだん彼の信じられないような、驚いたような顔が街灯に照らし出される。

逃げ出してしまいたい。

とっさにそう思ったが、なんとか踏みとどまる。
何のためにここまできたんだ。
ここで逃げたら、元も子もない。と自分を奮い立たせる。


「・・・どうして・・・。」

「あ・・・。」


訝しげに問われて、どうしようもなく焦る。
何か言わなければと思うのに、頭は真っ白で。
とにかく、話がしたいと本能は訴えて。
考えるより先に、口が動いた。


「あの!い、いま、お時間ありますか!?」


顔もまともに直視できず俯きながら言った言葉に、彼は驚いたように固まった。


「え・・・。」

「す、少しの時間でいいんです!ほんのちょっとだけ・・・。お願いします!」

「べ・・・別にいい・・・けど・・・。」


彼は私の必死の形相に戸惑いながらもオーケーしてくれた。
私はほっとしたように肩の力を抜く。


「それはいいけど・・・とりあえず、ここから離れないか?」

「え・・・?」


苦笑しながら言う彼の視線の先をたどると、開け放したままのドアからおそらくホテルに泊まっている軍人さんたちがなんだなんだと覗いている。
いまさらながら、私はものすごく恥ずかしいことをしていたんじゃないか・・・?と気づき、顔が赤くなった。


「は、はい・・・。」

「じゃ、行くか。」


そういって歩き出した彼の背中を追って、私は駆け出した。





***





「ふ〜ん、なるほど。そういうことね〜。」


僕は窓から2人の様子を伺いながら、納得したように頷いた。
そうか、だから兄さんは・・・


「・・・青春だねぇ・・・。」


ぽそっと呟いて小さく笑った後、離れていく2人を見えなくなるまで見送った。










きっとこれが、ラストチャンス。
彼にとっても、彼女にとっても・・・










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***
『夢には救済を』運動の結果、こんな感じになりました。
いや、こっちのほうが自然かなぁと。
その結果、この連載で初めて、ヒロイン以外の視点が入りました。
どーなんだろう・・・?