―――静かだった。

そんなに遅い時間でもないのに、私たちの周りは静まりかえっている。
明るい月明かりで出来た自分の影を見つめながら、私は無言で歩いていた。


(どこまで行くんだろう・・・)
私はちらりと前を歩く彼の背中を見た。
いつもの赤いコートに、金の髪。
月の光を淡く反射する彼の髪に、私は目を細める。
最後に見たのは、赤い夕焼けに照らされた姿だった。

もう一度見れるなんて、思わなかった。

思わず笑みがこぼれる。
勇気を出して、よかった―――





***





彼の足が止まったのは、図書館の前だった。
閉館時間を過ぎ、人の気配がなくなったいつもの場所。
彼の意図が分からなくて首を傾げる私に、彼がばつの悪そうな顔で振り向いた。


「わり・・・。とりあえず歩いてたらいつの間にかここに来てた。」


視線をそらしながら言った彼の言葉に一瞬唖然としたが、次の瞬間笑いがこみ上げてくる。
軽く噴出した私に、彼はちらりと視線をよこした。
少し赤くなった彼の顔には「そんなに笑わなくたって・・・」といっているのがありありと読み取れる。


「覚えてる道がここしかなかったんだよ。」


仕方ねーだろ。とすねたように言う彼に、私は微笑みながらそっか。と返す。


「毎日来てたもんね。ここに。」

「まあ、な。それはそっちもだろ?」

「ふふ、そうだね。」


私たちは毎日当たり前のようにここで会っていた。
それはそこら辺にあるありきたりな出会いだったけれど。
時が経てば忘れてしまうような、些細な偶然だったけど。
私にとっては、何よりも嬉しい出来事だった。


「それにしても難しいね、錬金術って。こんなに頑張ったのに、ちっとも進まない。」


憮然とした声で言う私に、彼がふっと笑うのが見えた。


「当たり前だろ。そんなに甘いもんじゃねーぞ、錬金術は。」

「まぁ、分かってたんだけど・・・。」


ため息をつく私に彼が楽しそうに笑う。


「そういや、なんで錬金術を習おうと思ったんだ?」

「んー・・・。単なる好奇心・・・かな。学校も長期の休みで、暇だったから。」

「へー・・・学校行ってんのか。」

「え、普通は行くでしょう。」


私のその答えに苦笑した彼を見て、私はしまったと思った。


「ご、ごめんなさい。」

「? なにが?」

「今の言い方だとあなたが普通じゃないって言ってるみたいで・・・その・・・。」


言いにくそうに言葉を詰まらせる私に、納得のいった彼が笑って「いいって」と答える。


「確かに普通じゃないしな。こんな子供なのに旅してるところとか。」

「あ・・・う・・・いえ、その、すみません。」


なんとなく覚えのある言葉に、私は縮こまってしまう。
そんな私の様子を意地の悪そうな笑顔で楽しそうに見る彼。
さっきと立場が逆転してしまった。
それがなんだかおかしくて、私たちはしばらく笑った。





楽しかった。





***





それから私たちはとりとめのない話をした。
私の家族のこととか、学校のこととか、錬金術の話とか。
彼が自分のことを話すことはなくて、一方的に私が話しているだけだったけれど。
彼が楽しそうに笑うから。頷いたり相槌を返してくれるから。
私は今までの自分が嘘のように、たくさんしゃべった。

彼が話してくれないという寂しさや、不満はなかった。
私のどこかが、ストップをかけていたのかもしれない。
彼のことを知れば知るほど、恋焦がれてしまうことを、私は経験で学んでいたから。
ただ、私のことは知っていて欲しいと。
少しでも、あなたの記憶の片隅に残りたいと。
もしかしたら、その一心で、喋っていたのかもしれない。





時は止まってくれることはなく。
そして彼が去ることもくつがえることはなく。
時は平等に、しかし無情に、流れていった。


影の位置が変わる。月が動く。
別れの時間が、近づいている―――





***





ふと、会話が途切れた。
正確には、私の声が。

風が木々を揺らして、ざあっと音を立てた。
彼の金の髪と、赤いコートが風にあおられてなびく。

ふと、寂しくなった。
彼がこの瞬間遠く思えて。
どうしようもなく、切なくなった。


「ほんとに、行っちゃうんだね・・・。」


気がついたら、私はぽつりと呟いていた。
その風にかき消されそうなくらい小さな声は、それでも彼に届いていたようで。
驚きの色に染まる彼の顔を見て、しまったと思った。
思わず口に手を当てて顔を伏せる。
なんてことを言ってしまったんだろう。言わないと、決めていたのに。
私を凝視する彼の視線が、どうしようもなく痛かった。





「・・・なぁ。錬金術、これからどうするんだ?」

「え・・・?」


果てしなく長く感じた沈黙の後発せられた何の脈絡もない質問に、私は面食らってしまった。
思わず上げた視線の先には、図書館を見上げる彼の姿。
静かな佇まいに、思わず返事を返すことを忘れる。
ふと、顔を戻した彼と視線が合った。
真剣な、そしてどこか寂しげな顔に、私は凍りついたように動けない。


「続けるのか?錬金術。」

「・・・どう、なのかな・・・。」


声の出し方を忘れたようだ。
かすれた声を何とか振り絞って、返事を返す。
回らない頭で、必死に考える。


最初は興味本位だった。
難しいと聞きながらも、やれば出来るかもしれないと甘く見て、実際はあまりの奥の深さとレベルの高さにめまいがして、何度もやめてやろうかと思った。
でも、それでも、なんだかんだで続けたのは、やっぱり面白さも感じていたからだと思う。
今まで考えもしなかった理論。思いもつかなかったものの見方。
新しい世界を開拓し、理解し、進むことは、純粋に楽しかった。
もっともっと知りたい。そしていつか、使えるようになりたい。
そう思ったことは、紛れもない事実で。
そして今も、その気持ちは変わっていない。


「うん・・・続けると思う。難しいけど、面白いとも、思うから・・・。」

「・・・そっか。」


ぽつりぽつりと呟いた私の言葉に、彼は満足そうな笑みを返した。
その笑顔に、思わず見とれてしまう。
嬉しそうな、満足げな、今まで見たことのない笑顔だった。


「そろそろ帰るか。送ってく。」

「・・・う・・ん。・・・・・・・ありがとう。」


ついにきてしまった。このときが。
どくんと大きく心臓が跳ねた。
そしてすぐに締め付けられる。
息が苦しくなって、思うように思考が回らなくなった。

あぁ、まただ。また、私は繰り返してしまう。
何も言えずに、何もできずに、何も納得しないままで。

今度は、そうあっちゃいけない。
今度こそ、笑って送り出すんだ。


私は気づかれないよう静かに何度も深呼吸すると、キッと前を向いた。
こちらが動くのを待っていた彼に、駆け寄る。


「こっちよ。」


極力笑って、極力明るい声で。
私は、帰り道を指差した。










彼といられる時間は、あとわずか―――










next top back

***
結局何しにいったんだろう?という疑問は持たない方向でお願いします。