月明かりに向かって、私たちは歩いていた。
行きと違って前が私。後ろに彼。
図書館から私の家までの短い距離を、ただ黙々と歩いた。
歩くスピードはゆっくりと。まるで、散歩でもしているかのように。
何も言わずに歩調を合わせてくれる彼に、泣きたい気持ちになった。
いまさら優しさを見せないでください。
また、失敗してしまう。
笑顔が、保てなくなってしまうでしょう?
別れが、辛くなってしまうでしょう?
ともすれば溢れてしまいそうになる気持ちを、私は上を向いて無理やり深呼吸して、やり過ごした。
***
「ここで、いいです。」
ここを曲がれば家というところで、私は止まった。
どう見ても家の前じゃない場所に、彼はきょとんとして首をかしげる。
「・・・ここでいいのか?ちゃんと家まで送るぞ?」
「いえ、ここでいいです。親に見つかると・・・何かと面倒なので。」
苦笑しながら言った言葉に、彼も苦笑しながら頷いた。
やはり、年頃の娘が夜、男といる現場を目撃されるのは、たとえ誤解であっても遠慮したい。
そういう意味を、正確に理解してくれたようだ。
2人の間に沈黙が出来た。
私は、なんとなく言葉を出すのをためらっていた。
次に言葉を発するときは、それは別れの言葉だと、確信していたから。
だから、彼が口を開くのも、怖かった。
この沈黙が、もっと続けばいいのにと、願った。
互いに目をあわさずに、動くこともせずに、私たちはしばらくそのままでいた。
***
「・・・そろそろ・・・行かないと。」
「あ・・・そう、ですね。」
先に口を開いたのは彼だった。
私は小さく呟くように返事を返す。
あぁ。ついに、きてしまった。この瞬間が。
「元気でな。」
「・・・っ」
苦笑しつつ言う彼に返事を返そうと思うのに、喉が詰まって声が出ない。
視界が歪んできたのを察知し、私は唇をかみ締めて下を向いた。
痛いくらいにかみ締めた唇が、白くなる。
それくらいしていないと、嗚咽が漏れてしまいそうだった。
胸が寂しさでいっぱいになって、息も出来ない。
しばらく私を見つめていた彼だったが、ふいっと背を向けた。
そしてゆっくり、もと来た道を歩き出す。
背中がだんだん、小さくなっていく・・・
あぁ、また私は何も言えず見送るだけなのだろうか。
お別れの言葉も言えず、送り出すための声もかけられず。
また、後悔するのだろうか。
今度は、もうないのに。
もうこれが、最後なのに―――
「あ、あの!」
私の無意識は、彼を呼び止めていた。
不思議そうに振り返った彼に、必死に言いたいことを探す。
「あ、あの!あの・・・その・・・。」
が、何から言えばいいのか、その前に何を言いたかったのか、瞬間的に飛んでいってしまった。
ショートした頭を働かせるが、時間ばかりが過ぎていく。
早く言わなくちゃ。彼が行ってしまう。
その焦りが、さらに頭を空回りさせた。
パニックを起こしてあたふたしている私を、彼はじっと待っていてくれた。
まっすぐに注がれる視線に、私は自分が少しづつ落ち着いてくるのを感じた。
どうしてだろう。いつもは見つめられるだけで緊張しているのに。
今は、とても安心できる。
焦らなくてもいい。待っているから。と言われた気がした。
早い心臓をなだめ、大きく息を吸い込み、ゆっくりゆっくり吐き出した。
それを何度も繰り返す。
大丈夫。言える
今なら、言える―――
覚悟を決めて、努めて笑顔を浮かべる。
「・・・ありがとうございました。これからも、頑張ってください。」
私の言葉に、彼は顔を驚きの色で染めて立ち尽くしていた。
見開かれた瞳が、私をまっすぐ見つめてくる。
それを、私は笑顔で見返せているだろうか。
頑張っては、いるのだけれど。
“ありがとう”なんて突然言われて、きっと彼は内心困惑しているのだろうと思う。
その証拠に、彼の表情が、驚きの色からだんだん困惑の色へ変化していく。
その変化が予想通りで、今度は自然に笑みがこぼれる。
“ありがとう”
我ながら、なんて陳腐でありきたりな言葉だろうと思う。
それでも、この漠然とした思いを表現するとしたら、これが一番いい気がしたのだ。
最後に彼に伝える言葉は、告白じゃない。行かないでという我侭な足かせでもない。
ただ、出会えたこと、同じ空間を分け合って過ごせたこと、あなたに出会って初めて知った想い。
それは決して、楽しいだけではなかった。
想えば想うほどに苦しさは増して、心も、身体も締め付けた。
いっそ想わなければ・・・と何度思ったか知れない。
それでも、そうできなかったのは、あなたからそれ以上のものをもらっていたから。
出会えてよかったと、心から思えることが出来た。
この気持ちを教えてくれたのは、誰でもない、あなただったから。
だから今は、ただただあなたに、感謝の言葉を贈りたいと、思った。
そして、まだ心に巣くうあなたへの未練を断ち切るためにも。
“ありがとうございました”
あなた過ごしたこの数日間の思い出は、一生忘れません。
明日からまた私も頑張るから、だから、あなたも頑張ってください。
“これからも、頑張ってください”―――
笑顔のまま何も言わない私に、言葉の意味を問いただしても無理だと悟ったのか、彼は諦めたように苦笑を浮かべ、「あぁ。」と返してくれた。
それを見、私は微笑んでゆっくりと一礼する。
これで・・・いい。
言いたかった言葉は言えたから、もう、思い残すことは・・・ない。
これで彼との“いつも”は過去に変わる。
さようなら、エドワードさん。
あなたは私の、初恋の人でした―――
つきんと痛んだ心を振り払うように、私は彼に背を向けた。
これ以上ここにいるのは、耐えられなかった。
そして、足早に角を曲がろうとした瞬間。
「・・・またな。」
聞き間違いかと思うくらいの小さな声。
でも、私の足を止めるには十分だった。
とっさに後ろを振り返る。
そこには、きびすを返して歩き出している彼の姿。
まるで、今の言葉は私の空耳だったかのように、いつもどおりの。
私は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
ただ、だんだん小さくなっていく彼の背中を見送った。
どれだけ、そうしていただろうか。
私は、ふっと微笑み、きびすを返した。
そして家に戻るべく、今度こそ歩き出した。
next top back
***
エドの台詞は反転で見れます。
あれっと思われた方。多分いるだろうなぁ(苦笑)
展開に対してのコメントは最後のあとがきでします。
あえて申し上げておくなら、この展開は予定通りです。