よく晴れた昼下がり。
外の喧騒と切り離されたかのように静まりかえった空間に、かつんかつんと一定のリズムが刻まれる。
それはまるで散歩をしているかのようにゆっくりとした歩調で。
目指す場所は、ずっと通い続けた、いつもの場所。
かつんっと足音がやんだ。
目の前には、錬金術の関連書の数々。
もう、飽きるほど見慣れたものたち。
私はふわっと微笑んだ。
いとおしそうに、並べられた本をなでる。

窓からの風が、伸びた髪をなびかせた。
差し込む日の光が眩しくて、私は手をかざして目を細める。





今日は、旅立ちの日だった。





***





「あら、こんにちは、ちゃん。」

「こんにちは。」


返却図書の乗ったカートを引きながら、顔なじみの司書さんがひょっこりと顔を出した。
にっこりと笑って言われた言葉に、私もにっこりと笑って返す。


「今日行くんですって?」

「はい。」


お世話になりました。といたずらっぽく言うと、彼女はいえいえと言って笑う。


「早いものね。ちゃんがここに通い始めてもう・・・3年?」

「あー・・・もう、そんなになりますかね。」


早いなぁ・・・と私は苦笑しながら思う。
そう、あれから約3年の月日が流れていた。


「セントラルに行っても頑張ってね。」

「ありがとうございます。」


簡単な激励の言葉を述べると、彼女は別の棚に消えてしまった。
それを見送ったあと、私はもう一度錬金術の本たちを眺める。
そして、ビロードのような手触りの青い本を取り出した。
そっと、背表紙を開ける。
そこには、この本を借りた人の名前が書かれた、貸し出しカードがある。
封筒を半分に切ったような袋の中に入っているそれを引き出して、最後に刻まれた名前を見る。
そこには、彼が存在した証が刻まれていた。

エドワード・エルリック

それは、私にとって大切な、かけがえのない名前。
今はもう記憶もおぼろげになってしまった。でも、それでも今なお鮮やかに残る想いの象徴。
私はそれをそっとなぞり、ふわっと笑った。

彼が国家錬金術師だと知ったのは、彼がここを去ってしばらくしてからだった。
あのときは、本当に驚いた。冗談だろうと思った。
しかし、勉強を進めて、読む本読む本に彼の名前を見かけるようになったとき、それは真実なのだと認めざるをえなかった。
今手に取っている青い本。本棚の一番下にある革張りの辞書並みに分厚い本。そこかしこにある小難しい言葉で飾られた数々の本たち。
彼の名前が刻まれている本は、どれも難易度の高いものばかりだった。
それこそ、興味本位で始めたなんちゃって錬金術師にはほとんど理解できないほどの。
あのときは、彼がものすごく遠くに感じたものだ。
決めた覚悟が、思わず揺らいでしまうほどの衝撃だった。





***





「・・・またな。」


あの夜、彼の残した言葉は、いったいどういう意味だったのか。
言われた当初は、彼の優しい嘘だと思った。
別れを悲しんでくれている女の子を気遣った、その場しのぎの言葉だと。
本当に、どこまでも優しい人だと思った。
優しすぎて、それが酷なものなのだと、感じさせないほどに。
またなんて、あるわけがないのに。
どうせあなたは行ってしまうのに。
それでも、その優しさが嬉しくて、喜んでいる自分が滑稽で、私は自嘲気味の笑みを浮かべた。





その夜は、部屋のベッドに突っ伏して、満月の光の下、静かに泣いた。
終わったのだと、もう終わったのだとひたすら自分に言い聞かせながら。





夜が明けても、私はずっとそのままでいた。
見送りに行く気はなかった。
そこまでの間柄ではないと思ったし、彼もそれは望まないだろうと思った。
・・・そんなのはただの言い訳で、ただ自分が臆病なだけだったのだけれど。
その日は図書館にも行かず、ずっとベッドの上で寝っ転がっていた。
出会ってから昨日の夜までのことを、ずっと思い出していた。


何気ない出会い。間抜けとしか言いようのないきっかけ。そこから始まった簡単な挨拶。
彼への思いを自覚した日。恋焦がれた日々。苦労して知った名前。
あぁ、そういえば1度も名前を呼べなかった。と今更ながら思う。
彼がどこかへ行ってしまうと悟った昼。タイムリミットを宣告された帰り道。
眠れないほど苦しい日々。そして昨日、最後の夜―――
楽しかった。苦しかった。悲しかった。
・・・ううん。今も悲しい。苦しい。ぽっかり穴が開いたようま空虚感で、体が重い。





私はしばらく、何もせずに過ごした。
どうせ図書館に行っても、彼はもういないのだから。
あの場所に行っても、この苦しみから逃れることは出来ないのだから。
そのうち学校が始まって、私が図書館に行くことはなくなった。

そのまま、気がつけば数ヶ月が経っていた。










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長くなりそうなんで急遽2つに分けました。