今日最後の講義の終わりを告げるチャイムが鳴った。
周りがだんだんと帰り支度を始める傍ら、いち早く支度を済ませて立ち上がる。


「それじゃお疲れ!また明日ね〜!」


そう友人に手を振って、私は教室を飛び出した。
そんな私を半ば呆然と見送った友人たちが、何かあるのかしら?と首を傾げていたことは、急いでる私には見えなかった。





***





ばたばたと図書館への階段を駆け上がり、重厚なドアを体当たりするように押し開け、中へ入る。
独特の静寂感と、本の少しインクっぽい匂い。
しかし私はそんな余韻に浸ることなく、ある一角を一心に目指していた。
とりあえず、司書さんに怒られるから早足で。
もどかしい思いを抱えながら、一生懸命足を動かす。

あと少し。あと・・・あともう、少し・・・!

“錬金術”と書かれたプレートの本棚を曲がる。
とたんに広がるいつもの風景。大きな窓に西日が差して、本棚や壁を赤々と照らしている。
少しだけ開けられた窓からは、涼しい風。揺れるカーテン。
そしてそんな風景に溶け込むように佇む、人。
太陽の赤を反射してキラキラ光る金色の髪、同化した赤いコート。
髪と同じ色の瞳は手元の本に注がれている。
脳裏にふっと数年前の、そして昨日の場景が浮かび上がった。そして、重なる。

いた。本当にいた。いてくれた。

ふと、彼が顔をあげた。眩しい太陽の光に目を細め、そして気配を感じたのかこちらに振り向く。
私の姿を認めると、彼は優しい笑みを浮かべた・・・と思う。
だって、私のほうからは逆光で、顔がよく見えなかったから。
でも、その後聞こえた「お帰り。お疲れさん」の言葉がひどく優しく響いて、私は思わず安堵と嬉しさで泣きそうになったから。





***





「なに泣きそうな顔してんだよ。」


じっと黙って見つめていると、彼は苦笑を浮かべ、言った。
その言葉にはっと我に返り慌てて目をこすった。いつもより少しだけ濡れてるような感じがした。


「本当にいてくれたから・・・ちょっと、驚いただけです。」

「なんだよ、それ」


と、彼は少しだけ不機嫌そうに顔をしかめた。俺の言葉を信用してなかったのかと言いたげな顔に、私は少しだけ笑って言った。


「夢じゃなかったんだなって。」


そういうと彼は驚いたように瞠目して、それから苦笑した。
彼にもわかったのかもしれない。この気持ちが。
奇跡のような偶然ゆえに抱いてしまう、夢ではないかという微かな疑念を。

夢かもしれないと思った。
昨日は浮かれていて何も考えられなかったけれど、冷静になるにつれて、そんな予感が胸を掠めるようになっていた。
今回のことは、再会を求めすぎた自分が見せた、幻覚なんじゃないかと。
だって私が挑んだのは、あまりにも無謀で、途方もない奇跡だ。
世界はとてもとても広いのだから。例え同じ国の住民だとしても、約束もしていない2人が簡単に出会えるほど、国は小さくはないし、国民も少なくはない。どちらかが国外に行ってしまったら、その偶然の確率は天文学的な数字へと膨れ上がる。
そんな奇跡が起こるはずがないと、心の冷静な部分は告げていた。信じていても、どこかに必ずそういう考えは存在していた。
だから、昨日のことは全部夢かもしれないと。今日図書館に行っても、誰もいないのかもしれないと。
そんな可能性が頭をよぎり、ものすごく不安に駆られた。
落ち着くことなんて出来なくて、ここに来て、確かめるまで安心するなんて出来なくて。講義中も気ばかりが急いて。
そんな気持ちを彼は、少しでも理解してくれたのだろうか。

持っていた本を戻して、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
そして、ぽんと一度だけ頭を叩いた。乗せた、というほうが正しいのかもしれない。痛みは全くなかった。感じたのはちょっとの重さと、暖かさ。


「ちゃんといるだろ?ここに。」

「・・・はい・・・。」


子供扱いされてるなぁとプライドの端っこが不満そうに呟いたけれど、そんなことより嬉しさが勝った。
優しい、子供を安心させるような声音に、静まっていた感情が高ぶる。泣きたくなる。
それを必死に押し止めて、彼に大丈夫だと伝えるために顔をあげた。
苦笑したまま目の前に佇む彼を見上げ、ふと思う。
(背、伸びたなぁ・・・)
あの頃は私とそう大して変わらなかったのに、今は見上げてしまう。私だって、それなりに成長しているのに。
それだけ時間が経過しているのかと思うと、いつも少し前だと思っていたあの頃が、ひどく遠く感じられた。
成長したのだ。私も、彼も。
もう私はあの頃の私じゃなくて、彼もあの頃の彼じゃない。

それでも、変わらないものは確かにあった。今も、あの頃も―――


それが、何よりも誇らしくて、何よりも嬉しくて―――そして何よりも、切なかった・・・。





***





「そういえば、まだ自己紹介っつーか、お互いの名前すらしらねぇんだよな、俺たち。」

「え?・・・あ、あぁ、えぇ、そうですね・・・。」


夕日のさす窓辺に腰をかけて、彼はそう言いだした。
実は知ってるんだけど、と内心で呟きながら、私は曖昧に笑顔を取り繕って頷いた。
自分が貸し出し名簿まで盗み見て名前を知ろうと奮闘したのは内緒だ。すごくいたたまれない気分になってくる。
あの時は何もかもに必死で、なりふりかまわなかったから、今思えば馬鹿なこともやっていたと思う。
でもそれも、いい思い出で。・・・でもまぁ、だからと言って知られていいかといえば微妙なんだけど。


「俺の名前はエドワード。エドワード・エルリックだ。」

「えっと・・・です。・・・なんか、気恥ずかしいですね。」

「・・・だな。」


ただ名前を伝えることがこんなにも恥ずかしいことだとは。と偶然にも2人は思った。
お互いになぜか視線を逸らしあって、でもそんな自分たちが滑稽で、私たちはしばらくくすくすと笑いあった。





時が経つのは早いもので、ゆっくりと日が傾き、静かに閉館の音楽が流れ出した。
この音楽は嫌いだ。どうしようもなく私を切なくさせるから。
これは、私にとって別れの音楽だった。
彼と会っていたとき、あの最後の別れの日、そして、今日もまた。


「・・・行くか。」

「・・・はい。」


ゆっくりと立ち上がり、歩き出す彼の後を追って、私も出口へ向かって歩き出す。
大きくなった背中を見つめながら、私は胸が締め付けられたように苦しくなった。思わず顔を歪めてしまう。
ほらやっぱり、この音楽は嫌いだ。





立ち止まったところは、いつもの曲がり角。
いつものように、私たちはここで別れる。


「明日はちょっと用事があるから・・・行けないかも。」

「あ・・・そう、なんですか。」


少しだけ申し訳なさそうに言う彼に、私は精一杯の笑みを浮かべる。
残念じゃないわけじゃない。でも、私のことで心を痛めて欲しくなかった。
だから必死でなんでもないように偽って・・・


「私、あなたのこと知ってました。」

「・・・え?」


この空気を払拭するために、唐突に爆弾を投下してみた。
案の定、耳を疑うように聞き返してきた彼を見て、私は意地の悪い笑みを浮かべた。


「あなたのことは知っていました。名前とか・・・肩書きとか。」

「・・・!」


驚愕の色を見せる彼の顔を見上げて、意味ありげに呟いた。


「鋼の錬金術師・・・さん?」


もう一度いたずらっぽく微笑んで見せると、彼は目を瞠ったまま、しばらく何も言えないでいた。
開いた口から掠れた声が零れる。


「・・・どうして・・・。」

「錬金術を習っているなら誰だって知っていますよ。金髪金目、規格外の低身長。」

「てっ・・・!」


とたんに目を吊り上げて叫びそうになった彼は、危うくのところで言葉を飲み込むことに成功したらしい。
それでも殺しきれなかった衝撃に手だけでなく全身を震わせながら、必死に自分をなだめようと無理やりな深呼吸を繰り返していた。
どうやらそれがコンプレックスと言う噂も、本当のようだ。しかもこれは相当根深い。
思ったより子供っぽい反応に、私は笑いがこみ上げてきた。と同時に、安堵する。

私が見てきた彼は、いつだって気を張り詰めていて。笑ってるところなんてほとんどなくて。
いつだって真剣な顔で本を読み漁り、疲れた顔で帰っていった。
そこに年相応と言う言葉はあまりにも当てはまらなかった。


動揺したように言葉を失う彼が珍しくて、私は少しだけくすりと笑った。
実際、学校の中では彼に憧れ、彼を目指す学生は多い。
自分たちより才能に恵まれ、自分たちより先に高みへと登りつめた、妬みと同時に、憧れの存在。


「みんなあなたを目標として頑張ってるんですよ。なんたって、最年少で国家資格を取得した天才なんですから。」


笑いながら話す私に、彼は苦々しい顔をした。あまりそう評されるのを好む性格ではないらしい。何となく分かる気がした。


「そういう私も、あなたが目標なんですけど。」

「え・・・。」


驚いたように目を丸くする彼を笑顔で見返して、きっぱりと言い放った。


「私は、あなたに追いつきたくて、頑張ってるんです。」










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エド偽者警報・・・だって大人しすぎる・・・!