私は、走っていた。


スカートの裾が大きく暴れるのを気にするでもなく、私はただひたすらに図書館を目指していた。
会える保障なんてどこにもない。
来ないかもしれない。
でも、行かずにはいられなかった。
脳裏には、夕焼けに染まり始めた教室でクラスメイトが叫んだ一言。


“鋼の錬金術師が、国家資格を返上した”


「どうしてっ・・・!」


上がった息の中、私はそう呟いた。
私の胸の中には、疑問だけが渦巻いていた。


勝手な話だが、彼は私の目標だった。
同じくらいの年で、国家資格を取って、大人顔負けの錬金技術を持つ人。
知り合ったときはその真摯な瞳と、姿勢に憧れた。
国家錬金術師だということを知ってからは、錬金術師として目指す人となった。
いつだって、彼は私を引っ張り、支え、そしてゴールを示してくれる存在だった。


彼と同じ立場に立ちたいと思った。
彼が見ていたものを、私も見たいと思った。それは純粋な興味でもあったし、惚れたせいというのもあったかもしれない。
とにかく、私は彼と同じ立場で、同じ目線で、彼が見ていたものを、世界を、見て見たいと思った。
私にとってそれは、国家錬金術師になると言うことだった。
それしか、彼と同じ立場に立つという方法が見出せなかったから。
だから、私はそれを目標に頑張った。頑張ってきたのだ。





彼が国家錬金術師をやめた。
それは同時に、私が唯一見つけた方法を無に帰してしまう行為だった。
明確な目標を私の目の前から消してしまう行為だった。

ねぇ、私はこれから何を目標に、あなたを目指せばいいのでしょう。





***





図書館の重厚な扉を、体当たりするように押し開けた。昨日より少しだけ乱暴に。
司書さんの咎める声を振り切って、私はあの場所へと駆けた。
いつもの本棚を曲がり、昨日と変わらぬ夕焼けに染まった場所を見た。
昨日と変わらぬ景色。ただ違うのは、風ではためくカーテンが今は揺れていないことと、求めた姿がないこと。

上がりきった息を整えながら、私はその場にうずくまった。


「そうだよね・・・うん・・・そうだ。」


うわごとのように自分に言い聞かせる。
彼は今日は来れないかもしれないって言っていたじゃないか。
それなら、仕方ないじゃないか。
聞き分けのいい意識とは裏腹に、どうしていてくれないんだという理不尽な文句が湧き出てくる。
それを振り払うかのように、私は頭を振って立ち上がった。

また明日来よう。
明日、どうして国家錬金術師をやめてしまったのか聞こう。

そう思い、入ってきたときとは正反対に、重々しくゆっくりと図書館のドアを開ける。
ふらっと出ようと思ったとき、ちょうど入ろうとした人とぶつかってしまった。
自分より背の高い人だったらしく、硬い胸に顔をぶつけてしまう。


「うぐ・・・。」

「っと、悪ぃ・・・って・・・来てたのか。」

「ふえ?」


反射的に受け止めてもらい、感謝と同時に申し訳なさを覚えた瞬間、聞き覚えのある声が上から降ってくる。
ぶつけた鼻を押さえながら上を向くと、こちらを見下ろし、苦笑している彼・・・

エドワード・エルリックがいた―――





***





偶然に会った私たちは、図書館には入らず、近くの公園に来ていた。
そこは市民の憩いの場となっているようで、子供連れの母親や、学校帰りの子供の姿が見える。
中央にある大きな噴水からは勢いよく水が噴出し、夕日にきらきらと輝いていた。

そんなのどかで心温まる風景を眺めつつ、私たちはベンチに並んで腰を下ろしていた。


「あ、あの・・・。」

「ん?」


この公園に行こうと誘ったのは私だった。
何も言わず付き合ってくれたことに感謝しながら、私はゆっくりと切り出した。
聞きたかった、どうしても。
何故、国家錬金術師をやめてしまったのか。


「今日、学校で・・・聞いたんですけど。」

「? あぁ。」


緊張からか、プライベートに立ち入ってしまう罪悪感からか、顔をあげることが出来ない。
詰まりながらゆっくりと話す私を、彼は急かしもせず待ってくれた。
その変わらない優しさにじんわりと涙がにじみ出てくる。


「国家錬金術師をやめられたって・・・本当ですか。」


返答には、長い時間があった。
子供たちの元気な声を聞きながら、じっと答えを待つ。





「―――・・・あぁ・・・。」





答えは端的で、短かった。
でもその落ち着いた答えが、私の胸にはナイフのように鋭く突き刺さった。
思わず、顔を歪めてしまった。


「どうして・・・ですか・・・?」


声が少し震えてしまった。
事実であったことが、そしてそれを本人自ら首肯されてしまったことが、自分にとってこんなにショックだったなんて。
どうしてと、また尽きることのない疑問符が頭の中をぐるぐると回っていた。


「・・・・・・・・・・・・もう俺には、必要のないものだから―――」


静かに与えられた返答に、私は反射的に顔をあげた。
見上げると、彼は薄く、皮肉げに笑っていた。じっと、右の手を見つめながら。
それを目で追いかけ、そしてふと手袋をしていないのに気づく。
数年前に会ったときには確かにしていた、手袋。
食事のときでさえ外さなかったそれが、今はない。
そんなことをぼんやりと思っていると、その手がぎゅっと握られた。
反射的にもう一度彼の顔を見上げる。
そこには、先ほどとは違う、少しだけ悲しそうな、少しだけ困ったような微苦笑があった。
優しくて、悲しい。そんな笑みに、私は思わず息を呑む。

思い出されるのは、あのとき、必死に一途に難しい文献を漁っていた彼の姿。
弟さんと一緒に、交わしたあの残念そうな、焦れて焦りを隠せない会話。
それでも、諦めないという力強いまなざし。

幼い兄弟に旅をさせるほどのもの。
それを達成するために、必要なものだったのだろうか。国家資格の地位と、それによってもたらされる栄誉や特権は。
それだけのために、彼は国家資格を取ったのだろうか。


「目標・・・達成、できたんですね。」


ぽつりと呟いた私の言葉に、彼は瞠目し、ぱっとこちらを見るとじっと探るように凝視した。
それに、私は少しだけ笑む。


「何となく・・・そうかなって、思ってました。」

「なに・・・が?」

「何かとても大切な目標があって、旅をしてらっしゃるんだなって。」

「・・・。」


そう言った私を、彼は信じられないという顔をしながら見つめていた。


「それがなんなのかはあの頃も・・・そして今も、全く想像もつきませんけど。達成・・・出来たんですよね・・・?」


違ったかな。と一抹の不安を抱きながら彼を覗き込むと、少しの間彼は息を詰めたようにこちらを見、ゆっくりと息を吐き出した。
そしてこちらを見て緩やかに・・・


「・・・あぁ―――」


ため息にも似た肯定の声と共に、緩やかに彼は笑った。
とくんと、心臓がはねた。
それは泣きそうにも、穏やかにも見えて、訳も分からず胸が締め付けられて、どうしようもなく切なくなった。
応えて、ゆるりと微笑む。


「それなら・・・よかったです―――」


それなら・・・いい―――
私はそう心の中で復唱すると、ぎゅっと手を握り締めた。


目標は失ってしまったけれど。また、彼の隣に並ぶ方法は闇の中に紛れてしまったけれど。
彼が目標を達成できたしるしなら、それでもいいんじゃないかと思った。
我ながらなんて単純。大変になったのは自分だというのに。
それでも、彼が緩やかに笑ってくれるのなら・・・もうあんなに苦しそうな顔をしなくてすむならば・・・もうそれでいいやと、そう、心から思えたのだ。










back top next

***
わー・・・偽者orz