分かっていた。
分かっていたけど、気づかない振りをしていた。

認めてしまえば、未来の暗さに押しつぶされてしまいそうだったから。





***





「ここは・・・こうなって・・・あ、あれ?」


図書館の錬金術のコーナー。
そこから少しだけ離れたところに設置された勉強用の机。
いつもとは違うその場所で、私はちょっと混乱していた。
原因は、目の前のこれ。
今日出された、大量の宿題・・・の一部。
いつもはここでは本を読みつつ密かに彼と共有する空間を楽しんで、宿題とかそういう無粋で面倒なものは家に帰ってから済ませていたのだが、今回出された量は家で出来るほど少なくはなかった。

(くそ〜あんの鬼教師〜〜!!)

あまりの課題の多さに唖然とする生徒たちを悠然と見渡し、「頑張れよ」と意地の悪そうな笑みを浮かべて言い放ったあのときの場景を、私はぜっったい忘れない。
彼にはここでしか会えない。しかも、ここにいられる時間は夕方から閉館までの僅かなのだ。
だからこそ、ここではやらないと決めていた。他のことに一分でも時間を取られたくなかった。
なのに、どこかの鬼教官のせいで、その自分との約束もパーだ。
私はちらりと後方を眺めやった。この本棚の数列向こうが、彼のいる錬金術のコーナー。
当然本棚が邪魔して彼の姿なんてこれっぽっちも見えない。
思わず大きなため息をついてうなだれてしまう。嫌でも視界に入った文字の羅列を、恨みがましい目で睨みつけてやった。
こんなものがなかったら、今頃は彼の近くで穏やかな時間を過ごせていたのに。
無意識に握りつぶしそうになったプリントをすんでのところで救出したのは、後ろからひょいと伸びてきた手だった。


「・・・なんだ?これ。」

「あ・・・。」


顔をのけぞらせて後ろを見れば、不思議そうにプリントに目を走らせる彼の姿。
プリントを取られた。ということより、彼がここまで来ていたことに驚く。
彼は今まで一度もあそこを離れたことはないのだ。・・・あくまでも自分が見てきた限りでは、だけど。

どうして来たんだろう。

(まさか、わざわざ会いに来てくれた・・・とか?)
一瞬そんな嬉しい予想が頭の中を掠めるが、すぐに却下する。
自分で言うのもなんだけれど、そこまでの存在じゃないだろう。自分なんて。
そうは思いながらも、そうだったらいいのにと思う自分は消えなくて。





どうしよう。出会えたせいか、またあの頃のように欲張りになってきてる自分がいる。





「・・・課題か?」

「え・・・あ!は、はい、そうです。」


考えにふけっていた私は、その問いかけに反応が遅れてしまう。
明らかに怪しい反応に、彼はきょとんとした目でこちらを見てきた。
それを恥ずかしさのあまり見返せないでいると、隣の椅子がかたんと引かれた。
ぎょっとする間もなく、彼がすとんとそこに座る。
夕日に照らされた机に肘をつき、黙々とプリントに目を走らせる彼の姿があまりにも様になっていて、思わず見とれてしまう。
・・・直視は流石に出来なかったから、横目で、だけど。
俯き気味でしばしその光景に見入っていると、すっと目の前にプリントが差し出された。
首を傾げながらそれを見ていると、とんとんと、彼の指がプリントを叩いた。


「ここ、間違ってる。」

「うそぉ!?」


あっさりと指摘された間違いに、思わず声をあげてしまう。
しかしここは図書館。館内ではお静かに。が常識のところ。
どこからか聞こえてきた咳払いに咄嗟に口元を覆うと、周りの人に向かって頭を下げた。





「・・・で、どこでしたっけ・・・。」


一通り謝り終わると、隣の彼に眼を向ける。
が、視線の先の彼は顔を伏せて身を震わせていて。
訝しげに耳を澄ませれば、小さく声を押し殺して笑っているのが手に取るように分かった。
思わず半眼で震える背中を睨んでしまう。恥ずかしさ半分、そこまで笑わなくても・・・という文句半分。
私の視線に気がついたのか、彼は笑いを堪えつつゆっくりと顔を上げた。
片手をこちらに突き出して、ちょっとタンマ、と手振りで伝えてくる。


「っ・・・悪ィ、ちょっ「待てません。」」


憮然と不機嫌を惜しげもなく声に乗せながら言い放つ。
私の不機嫌を悟ったのか、彼は深呼吸をしながらようやく笑いを引っ込めた。


「悪かったって。」

「声が笑ってますっ。」


拗ねたように言い返せば、彼はそれにも笑いがこみ上げてきたのか、また口元を押さえて震え始めた。
それを見て今は何を言っても無駄だと判断すると、彼の笑いが自然に収まるまで待つことにした。





何気ない会話だけれど、すごくすごく楽しかった。まるで、あの頃のように。
感覚がどんどん蘇ってくる。
時間によって少しずつ思い出となり薄れ掛けていた彼への恋心が、また鮮やかな色を持ち始める。

こうして隣にいて、動いてる彼を見ていられるということが、何よりも私を幸せにしてくれる。
話しかければ応えてくれる声があることが、こんなにも嬉しい。
(あぁ、好きだなぁ・・・)










「・・・気が済みましたか。」

「ん?・・・あーまぁ。」

「それはよかったですね。」

「・・・」


ようやく笑いを収めた彼にちょっぴり意地悪をしてやろうと、わざと冷たく話しかけてみた。
彼は声に反応して顔を上げ、私の顔を確認すると、ばつが悪そうに顔を逸らし、黙り込んでしまった。
その様子に、内心くすくすと笑ってしまう。
可愛いなんて言ったら、彼は怒るだろうか。


「それで、どこが間違ってるんでしたっけ。」


これくらいにしておこうと、気を取り直して宿題に向かうと、とたんに彼はホッとしたように息を吐いた。
その様子も可愛くて、私は気づかれないように微笑んだ。
横から伸びてきた手と声に耳を傾けながら、閉館までの少しの時間、私はほのかな嬉しさに暖かくなった心に気を取られる暇もないほど怒涛の勢いで宿題を片付けていったのだった。





***





「今日はありがとうございました。助かりました。」


夕焼けが藍色に染まり始める帰り道、私は隣を歩く彼に向かって言った。
鞄の中には予想以上に答えが埋まった宿題。寝れないことを覚悟していたが、どうやらその心配は杞憂に終わるらしい。
そのことにほくほくとしながら、笑顔で心からのお礼を言う。
お礼を言われた彼は、一瞬面食らったようにこちらを凝視してから、顔を逸らして一言「別に」と言った。
その様子にくすくすと笑ってしまう。
何となく、彼の行動が照れ隠しのように見えたから。


「ちゃんと約束守ってくれましたね。」

「約束?」

「そう。昔、分からないところがあったら教えてくれるって約束してくれたじゃないですか。」

「・・・そーだっけ?」

「そーだったんです!」


眉間に皺を寄せて斜め上を見上げ、うーんとうなり始めた彼に、私はキッパリと言い放つと、少しだけ寂しくなってため息をついた。
(確かに、すごく些細な会話だったから覚えてないのも無理はないけどさ)
でも、私ははっきりと覚えていた。会話だけじゃなく、場景すら思いだせるほど。
霞みかけていた想いが蘇ってくるのと同時に、私の中では彼と交わした些細な会話も鮮明によみがえってきていた。
その間にあった数年間なんてなかったかのように。

そのすれ違いが、どうしようもなく苦しくさせる。
記憶の差は、そのまま想いの差を表しているようで。
私が彼を想うほど、彼は私を想っていてはくれないのだと、思い知らされているようで。
分かっている。分かっているのに。

つきんと胸が痛んで、私は咄嗟に胸を押さえた。
握り締めた手に力が入って、くしゃりと服に皺が寄る。
痛い。痛くて、苦しい。
私は何とか痛みをやり過ごそうと、ぎゅっと目を閉じた。

分かっている。
彼が私のことをそういう目で見てはいないということに。
それは例えれば知り合いで。それは例えれば後輩で。
どんなに期待しても、彼は私と同じ気持ちで私を想ってはくれない。
分かっているのに、どうしても思ってしまう。


想って欲しい。
私があなたを想うだけ、あなたにも私を想って欲しい。


そう願ってしまうたびに胸の痛みは増していく。
逃れたいのに、逃れられない。
だってそれは、彼への想いを捨てると言うことだから。

知らなかった。ううん、知りたくなくて必死に目を逸らしていたのかもしれない。

想うだけの恋が、こんなにも苦しいものだなんて

知りたくも、なかった―――










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