降り始めた雨は、長い間降り続いた。
あれからどうやって軍の人を呼んで、どうやって司令部まで戻ってきたのか、自分には記憶がなかった。
ただ、頭の中にはあの変わり果ててしまったニーナの姿が焼きついていて、自分を呼ぶ声が耳に残っていて、どうしようもない。
時間は確かに流れているのに、私の中はあのときで時間をとめてしまっていた。
「・・・ニーナちゃん・・・!」
後悔か悲しみか、分からない想いが喉を突き破って呟きとなった。
それは雨にかき消されるほど、儚いものではあったけれど。
***
「いつまでそうやってへこんでいる気だね。」
近くで大佐の声が聞こえ、はハッと我に返った。
かすかに顔を上げると、司令部の前の階段に座っていた。
自分の体はもうずぶぬれで、体の芯から冷え切っていた。
体に当たる雨が強く、冷たい。
でも、にはとても心地よく感じた。
何も出来なかった自分を、誰かに代わって責めてもらっているかのようで。
「・・・うるさいよ。」
小さな、あまりにも小さな弱々しいエドの声が聞こえた。
自分の座っている斜め上を見上げると、表情全てが抜け落ちてしまったような、エドがいた。
「軍の狗よ悪魔よとののしられても、その特権をフルに使って元の身体に戻ると決めたのは君自身だ。これしきの事で立ち止まっているヒマがあるのか?」
あまりにも淡白に、冷静に言われた言葉に、エドが反応する。
「『これしき』・・・かよ。ああそうだ。狗だ悪魔だとののしられてもアルと2人元の身体に戻ってやるさ。だけどな、オレたちは悪魔でも、ましてや神でもない。
・・・人間なんだよ!!たった1人の女の子さえ助けてやれない。・・・ちっぽけな、人間だ・・・!」
立ち上がってそう叫んだエドワードの顔は、悲しみや苦しみや、自分に対しての怒りや、やるせなさ、そういったもので染まっていた。
苦しいほど胸を締め付けるその叫びに、は固く目を瞑った。無意識に身体を抱きしめ、その痛みに必死に耐えた。
そう、私は何も出来なかった。
ほんの少ししか時を共にしてはいないけれど、愛しい存在だった。妹のようだった。娘のようだった。守ってあげたいと、心から思っていた。
大切だったのに。とても、とても。
大切な人を、私はいつも救えない。
大切な人なのに、私はいつもその人に何もしてあげられない。
無力・・・だ。
***
「・・・風邪をひく。帰って休みなさい。」
「・・・ほっといてくれ。」
「・・・そうやっていつまでもそこにいて、にまで風邪をひかせる気かね。」
ハッとしたようにエドワードはを見た。
自分と同じようにずぶぬれのまま、じっと動かないその姿を見て、唇をかみ締める。
守ると誓った少女。
それを、自分のせいで苦しめてどうする。
「・・・アル。」
「・・・うん。」
兄の呼びかけに、アルフォンスは頷いて立ち上がった。
それを見届けて、自分より数段低いところにうずくまる少女に近づく。
「・・・大丈夫・・・か?」
その声に、はピクリと反応した。
エドワードたちが息を詰めて見守る中、緩慢に顔を上げると、ゆっくりと立ち上がった。
「・・・大丈夫。」
エドワードは、振り返ったを見て、目を見開いた。
は、緩やかに笑っていた。
髪を伝って顔に落ちた雫が涙のように見えて、その笑みはひどく、儚く見えた。
・・・もしかしたら、本当に泣いていたのかもしれないけれど。
***
ざあざあと音を立てて降る雨に、外の景色は曇っていた。
は、無理やり押し込まれたお風呂場で身体を温めた後、部屋でぼんやりとしていた。
まだ、受け入れきれてはいなかった。
理性の部分は理解しているのだ。何が起こって、あの子がどうなってしまったのか。
でも、感情の部分がそれを拒否する。嘘だとかたくなに主張し続ける。
この思いはなんだろうか。
何も出来なかった悔しさだろうか。失ってしまったものから与えられる喪失感とそれによる寂しさだろうか。
泣きたいのに、もう涙は枯れてしまったようだった。今はただ、目が痛くてしょうがない。
助けたかった。
何度悔やんでも仕方ないけれど、出来ることなら助けたかった。
どうして、気づかなかったのだろう。
どうして、気づけなかったのだろう。
タッカーさんの優しい笑顔の裏に隠された、狂気を。
もしも気づけていたのなら、助けられたかもしれないのに。
今となってはどうしようもなかったけれど、仕方ないとは思いたくなかった。
何かしてあげたい。何かしなければ、自分が許せなかった。
何も出来なかった、無力な自分を。
今の私に出来ることはないのかと、ないものねだりのように私がせかす。
ある、かもしれない。と、泣きすぎてしびれた思考回路が呟いた。
私は錬金術師だ。まだまだ、ひよっこだけれど。
錬金術で起こった悲劇なら、錬金術で何とかできるかもしれない。
私がまだ知らない、キメラを元に戻す方法があるかもしれない。
冷静に考えれば、夢のような理論だった。
一度混ざってしまったコーヒーとミルクを、もう決して元のとおりに分けることなんて出来ないように、ニーナとアレキサンダーを元のように戻すなんてこと、出来るわけがないと、頭のどこかでは分かっていた。
でも、何かせずにはいられなかった。
何もせずにこうして悲しみにくれているのは、許せなかった。
他の誰が許しても、自分だけは。
私はちらりと時間を確認すると、勢いよく立ち上がった。
傍らに置いてあったコートに素早く袖を通すと、そのまま部屋を出た。
何かをせずにはいられなかった。
ただ、それだけだった―――。
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