「おねえちゃんいらっしゃーい!!」
「おはよう、ニーナちゃん。」
「タッカーさん、今日もお世話になります。」
「あぁ、頑張ってね。えーと、ちゃんも、ゆっくりしていくといいよ。」
「ありがとうございます。」
次の日の朝、3人は早速タッカー邸を訪れた。
タッカーさんたちは昨日と変わらず快く迎えてくれた。
仲の良さそうなタッカー親子を見て、は懐かしそうに目を細める。
似ていた。
まだ父さんが行方不明になる前、自分が父を大好きで大好きでたまらなかった、あのころと。
自分の中で一番優しくて、一番輝いていた時期。幸せを具現化したような時間。
いつまでも、この親子は幸せであってもらいたい―――
「エドワード君たちの邪魔をしてはいけないよ?」というタッカーさんに元気よく返事をしているニーナ。
そんな和やかなやりとりを見つめながら、はそう願わずにはいられなかった。
***
「へー、お母さんが2年前に。」
「うん。実家に帰っちゃったってお父さんが言ってた。」
昼下がりの書庫で、とニーナ、アルフォンスの3人は、本を読むのを止め、話していた。
その少し離れたところではもくもくとエドワードが本を読んでいる。
が、それは見た目だけで、きっとこちらの会話に耳を傾けているのだろう。さっきからページをめくる音が聞こえない。
それなら堂々と会話に入ってこればいいのに。と、ニーナをひざに乗せた体勢ではひとりごちた。
「そっか。こんな広い家にお父さんと2人じゃさみしいね。」
「うぅん、平気!お父さんやさしいしアレキサンダーもいるし!でも・・・」
と、それまで内容の重さに見合わない明るい声で喋っていたニーナが、ふと顔を曇らせた。
「お父さん、最近研究室にとじこもってばかりで、ちょっとさみしいな。」
ポツリと呟かれた本音に、は胸が締め付けられそうだった。
哀しいくらいに分かってしまう。
いろんなものや人が、自分のさみしさを一時的に埋めてはくれるけれど、でも父さんに構って貰えないさみしさは消えない。
それほど大きな存在なのだ、父親と言うのは。
(あぁ、どうしてこんなに、自分と似ているんだろう・・・。)
境遇も、思いも、怖いくらいに似ている少女。
どうか私のようにはならないでと、心の底から思う。
「・・・おねえちゃん?」
その声にふと気づけば、抱きかかえる手に力が入ってしまっていた。
不思議そうに見上げてくる幼い瞳を、は微笑を浮かべて見つめ返す。
「おねえちゃん、どこか痛いの?」
「・・・痛くないよ。ありがとう。ニーナちゃんは、強くて優しいね・・・。」
そう言って笑えば、ニーナも照れたように笑い返した。
その様子を見ていた兄弟は、ふっと顔を見合わせる。
2人も気づいたのだ。とニーナは、どこか似た境遇を持っているのだと。
「・・・・・・あーー、毎日本読んでばっかで肩こったな。」
「肩こりの解消には適度な運動が効果的だよ、兄さん。」
「そーだなー。庭で運動してくっか。」
そう言い出した兄弟に、とニーナはきょとんとする。
「さ、。ニーナも。」
アルにそう促されて、とニーナは顔を見合わせた。
そして嬉しそうに笑うと、2人手を取り合って庭へと向かったのだった。
綺麗に整備された芝生で、エドが必死にアレキサンダーから逃げる。
しかしいくら運動神経がいいと言っても所詮人間と犬。勝てるわけがなく、あえなくのしかかられていた。
それを呆れた表情で見るアルフォンス。
そして、まるで姉妹のように仲良く笑っているのは、とニーナだった。
楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
結局午後の大半を遊びに費やしてしまい、読書はまたもやはかどらなかった。
それに半分自己嫌悪しつつ、エドワードたちは帰る事にした。
「またね、おねえちゃん!」
「うん、また明日ね、ニーナちゃん。」
「お兄ちゃんたちもまた遊ぼうね!」
「うん、ばいばい、ニーナ。」
「ばいばーい!」
玄関まで出て、ニーナは3人を送り出してくれた。
その場に、タッカーさんの姿は見えなかった。
姿が見えなくなるまで満面の笑みで手を振り続けてくれるニーナ。
それが、彼女の最後の笑顔だった―――
***
その日は、今にも雨が降り出しそうな曇天だった。
暗くたちこめた雲間からは時々稲光がし、ゴロゴロと言う低い音がする。
雷の苦手なは、内心びくびくしながらタッカー邸へとたどり着いた。
「お前なぁ・・・まだ遠いから大丈夫だって。」
「そうじゃないの!だんだん近づいてくるこの恐怖感が嫌なの!!」
そう言い合う2人を尻目に、アルフォンスが呼び鈴を鳴らした。
「こんにちはー。タッカーさん、今日もよろしくお願いします・・・あれ?」
いつもは奥から元気なニーナとアレキサンダー、優しく瞳を和ませたタッカーさんが迎えてくれるはずなのに、今日は全く来る気配がなかった。
いぶかしんだ3人は、悪いと思いつつタッカー邸へと足を踏み入れた。
「・・誰もいないのかな。」
「タッカーさん?」
「ニーナ?アレキサンダー?」
しばらく廊下を歩いてみたが、全くといっていいほど人の気配がない。
「・・・私2階を見てくる。」
電気もつけられていない状況に不安を覚え、はニーナの部屋がある2階を探すことにした。
「・・・1人で大丈夫か?」
「平気。何かあったら大声で呼ぶから。」
「・・・分かった。気をつけろよ。何かあったらすぐ呼べ。」
じっとこちらを少し不安そうな目をして見つめるエドワードに大きく頷いてから、は階段へと足を向けた。
不安や嫌な予感に後押しされるように、足早に上っていく。
「・・・てっきりついていくって言うかと思ったよ、僕。」
呆れたような、感嘆したような、微妙な声音でアルフォンスが呟いた。
それにエドワードが苦虫を噛み潰したような顔で応える。
「・・・ニーナを一番心配してるの、だからな。」
それだけじゃないでしょう?と言いかけたが、開いているドアを発見して、意識はそちらに向いてしまい、結局エドワードの真意を図ることは出来なかった。
***
「ニーナー・・・アレキサンダー・・・どこー?」
は小さくノックをし、ドアを開け、誰もいないことを確かめて次のドアへ・・・を延々と繰り返していた。
いくら探しても見つからない、呼びかけにも反応がない、加えてさっきから雷の音が大きくなっている。
漠然とした不安と、嫌な予感、それに恐怖心が加わり、気ばかりが急いてどうしようもない。
それでも極力周囲に気を配りながら、は次のドアを開けた。
「ニーナー・・・タッカーさん?アレキサンダーもどこよぉ・・・。」
がらんとした部屋を一通り見回して、ため息をつきながらドアを閉めようとした、そのときだった。
壁に何かを打ち付けるような音と、エドの怒鳴り声が階下からかすかに聞こえた。
「え・・・。」
何かあったのだろうか。
不安や嫌な予感がピークに達し、は慌てて階下に駆け下りた。
声を頼りに、エドたちの元へと急ぐ。
1つだけ開いているドアを見つけ、はそこへ駆け寄った。
「エド!どうし・・・!?」
ドアの向こう、部屋の中をのぞいたは、その有様に絶句した。
血だらけで倒れこんでいるタッカー、エドワードがやったのだろうか、硬く握り締め震えている手には、血痕がある。
そして部屋の中央には片膝をつくアルフォンスの姿。
その向こうには、何があるのだろう・・・。アルフォンスの背中で隠れてしまってよく見えない。
「・・・来るな、・・・。」
「・・・エド・・・?」
「入ってくるんじゃない。何も・・・見るな・・・!」
低く押し殺した声で言うエドワード。
怒りのせいか、悲しみのせいか、小さく震える背中は、を硬く拒絶していた。
背中を向け跪いていたアルフォンスが立ち上がり、こちらへと歩いてきた。
「・・・さ、行こう。少し外へ・・・。」
『オ・・・ネエ・・・チャン?』
「え?」
そうアルフォンスが促したとき、小さい声が聞こえた。
全員がはじかれたように部屋の中心へと視線を向ける。
アルフォンスと言う盾を失くしたそれは、の目にもはっきりと見えた。
大きな犬だ。行儀よくお座りした状態で、その視線はに向けられている。
うっすらと床に練成陣が見えた。タッカーさんの合成獣だろうか。
それがまた、たどたどしく言葉を紡ぐ。
『・・・オネエ・・・チャン・・・。』
「・・・“おねえちゃん”って・・・・・・・・・まさか・・・。」
「見るな!!」
エドワードの悲鳴じみた声が響く。が、今のには何も聞こえてないに等しかった。
の見開かれた目には、それしか映っていなかった。
まさかと思った。そんなこと、信じられない。ありえない、ありえちゃいけない。
あぁ、自分の心臓の音がうるさい。呼吸も、なんだかとても苦しい。
信じたくなかった。でも、目の前にあるものは全て真実で。
認めたくなかった。でも、それを否定する事実はなくて。
だって、どこを探しても、あの子たちは見つけられなかったから。
「見るんじゃない、!見るな!!」
そう言ってエドワードが自分の体でそれを隠した。
アルフォンスが、半ば強引にを部屋から引っ張り出す。
その間、はずっとエドに隠されたそれを見ていた。
いや、それは違うかもしれない。もうこのとき、の焦点はあってはいなかったから。
の頬に、つっと涙が伝った。
信じたくないのに、自分はもう知ってしまった。
否定することなど、出来なかった。
「・・・・・・ニーナ・・・!」
暗く立ち込めた雲から、激しい雨が、降り始めた―――
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