は兄弟の部屋の前で急ぎ足をピタリと止めた。
何の物音もしないドアをじっと見つめる。

一言言っておかなければ、また心配をかけてしまう。
そして、気休めにしかならないまでも、伝えたい言葉があった。

たった1人の女の子さえ助けてあげられなかったと、自分を責めているであろう彼に。彼らに。





***





ちょうどそのころ

エドワードたちは、電気もつけないまま、お互い会話もせぬまま、じっと座り込んでいた。
脳裏にはたくさんのことが巡っていた。
ニーナのこと、タッカーの起こした所業のこと、何も出来なかった自分、自分たちの過去・・・そして隣の部屋にいる、のこと。
雨の中で見た、あの儚い笑顔が忘れられない。

あのとき、変わり果てたニーナを目の前に、は静かに涙を流しただけだった。
泣き叫んでもいいあの状況で、はぽつりとニーナの名前を呟いたあと、静かに泣いているだけだった。
今回のことで一番傷ついているのは、きっとだろう。
誰よりもニーナを近しく、愛しく感じていただろうから。

そんな彼女が見せた、あの雨の中の儚い笑顔。「大丈夫」の言葉。
いっそ泣き叫んでくれたほうがよかったと思う。縋ってくれてよかったのだ。そうすれば、自分がなんとかできたかもしれない。
無理して微笑まれるほうが、何倍も苦しい。
どうして、自分に頼ってはくれないのか。どうしていつも、一人で立とうとするのか。

守ると決めたのに、いつだって、肝心なときに守らせてはくれない。





こんこん・・・





エドワードがぐっと拳を握り締めたとき、控えめなノックの音が聞こえた。
反射的にそちらを向くと、小さな声が聞こえた。


「エド・・・アル・・・起きてる?」

「・・・起きてるよ。、入っておいでよ。」


言葉が咄嗟に出なかったエドワードに代わって、アルフォンスが扉の向こうのに声をかけた。
控えめにドアが開かれた先には、コートを羽織っているの姿。
まるで、これからどこかに出かけるかのように。
弟もそれを感じ取ったらしく、戸惑ったようにこちらに視線を向けてくる。


「お前・・・どこに行く気だ。」


しばらく声を出していなかったせいか、掠れた様な声になってしまった。
それに驚いたのか、これから出かけることを悟られてしまったことに驚いたのか分からないが、の眼が見開かれる。
そしてそのまま、苦笑にも似た笑みを浮かべると、小さくこくんと頷いた。


「図書館に、行ってきます。」

「と、しょかん?」


思ってもみなかった行き先に、兄弟は虚をつかれた様にぽかんとを見返した。
エドワードたちは、てっきりタッカー邸かどこかに行くのかと危惧していたからだ。
もしそうなら、なんとしてでも止めなければと思っていた。
もう、苦しい思いはさせたくなかったから。


「ちょっと、調べものをしてくる。」


日が暮れるまでには帰るから、心配しないで。と、は笑った。





どうして、笑うことが出来るのだろう。





何も言い返さない自分たちに「いってきます」と言い残して、は踵を返した。
そのまますたすたと出て行きそうなを、エドワードは咄嗟に呼び止めようと手を伸ばした。


「あ、そうだ。」


が、ドアを出る一歩手前で、はピタリと止まり、振り返った。
てっきりそのまま出て行ってしまうと思っていた兄弟は、またしても予想外の事態にぽかんとしてしまう。

見つめ返してくる2対の瞳に、は出来る限りの笑顔を浮かべた。
せっかく言おうと決めたのに、危うく忘れるところだった。

気休めにしかならないかもしれないけれど、伝えたい。出来れば、笑顔で。


「私は、助けられたわ。」


その言葉の真意がつかめず、困惑の色を滲ませる2人に、はそのまま言葉を紡ぐ。
救いにはならないかもしれないけれど、分かって欲しかった。


「私は、エドとアルに救われたわ。2人がいなかったら、きっと私は今のように笑えなかった。」


ゆっくりと2人の表情が困惑から驚愕の色へ変わっていく。
それを見ながら、はゆっくりと言葉を紡いだ。


「確かに私たちはちっぽけな存在だけれど、そのちっぽけな人間に救われてる人もいるってこと、忘れないで。」


あなたたちに助けられた人間が、確かにここに存在していることを、どうか、忘れないで―――





何も言えずに瞠目している2人に最後にもう一度微笑むと、は宿を出て行った。
静かになった室内に、雨の音が響く。
2人はしばらく動かなかった。動けることを忘れてしまったかのように。


「どうして・・・。」


搾り出すように、エドワードが呟いた。
どうして、と、疑問ばかりがあふれる。

どうして、あんなに強いのだろう。
傷ついていないはずはないのに、どうしてそれを悟らせず、他人に微笑むことが出来るのか。
どうして、どうして。

守りたいと誓った少女に、自分はいつだって欲しい言葉を貰って、励まされて。救われて・・・ばかりだ。
それなのに、自分は何も返せてはいない。
今だって、励まさなければならないのはこっちなのに、逆に励まされてしまった。気を使わせてしまった。
自分のことで、手一杯で。

自分のふがいなさに、吐き気がする。


「強く、なりたい・・・!」


彼女の全てを守れるように、もっと、強く。


鈍く光る右腕を見つめ、エドワードはぐっと拳を握り締めた。










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